◎本日の聖書箇所【使徒の働き27章27節~44節】(新約聖書p.293上段左側)
27:27 十四日目の夜になり、私たちはアドリア海を漂っていた。真夜中ごろ、水夫たちはどこかの陸地に近づいているのではないかと思った。
27:28 彼らが水の深さを測ってみると、二十オルギヤであることが分かった。少し進んでもう一度測ると、十五オルギヤであった。
27:29 どこかで暗礁に乗り上げるのではないかと恐れて、人々は船尾から錨を四つ投げ降ろし、夜が明けるのを待ちわびた。
27:30 ところが、水夫たちが船から逃げ出そうとして、船首から錨を降ろすように見せかけ、小舟を海に降ろしていたので、
27:31 パウロは百人隊長や兵士たちに、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません」と言った。
27:32 そこで兵士たちは小舟の綱を切って、それが流れるままにした。
27:33 夜が明けかけたころ、パウロは一同に食事をするように勧めて、こう言った。「今日で十四日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。
27:34 ですから、食事をするよう勧めます。これで、あなたがたは助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません。」
27:35 こう言って、彼はパンを取り、一同の前で神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めた。
27:36 それで皆も元気づけられ、食事をした。
27:37 船にいた私たちは、合わせて二百七十六人であった。
27:38 十分に食べた後、人々は麦を海に投げ捨てて、船を軽くした。
27:39 夜が明けたとき、どこの陸地かよく分からなかったが、砂浜のある入江が目に留まったので、できればそこに船を乗り入れようということになった。
27:40 錨を切って海に捨て、同時に舵の綱を解き、吹く風に船首の帆を上げて、砂浜に向かって進んで行った。
27:41 ところが、二つの潮流に挟まれた浅瀬に乗り上げて、船を座礁させてしまった。船首はめり込んで動かなくなり、船尾は激しい波によって壊れ始めた。
27:42 兵士たちは、囚人たちがだれも泳いで逃げないように、殺してしまおうと図った。
27:43 しかし、百人隊長はパウロを助けたいと思い、彼らの計画を制止して、泳げる者たちがまず海に飛び込んで陸に上がり、
27:44 残りの者たちは、板切れや、船にある何かにつかまって行くように命じた。こうして、全員が無事に陸に上がった。
◎メッセージ【航海の果てに】
《「良い港」を出航してから、十四日目の夜になり、船はアドリア海を漂っていました。真夜中ごろ、水夫たちはどこかの陸地に近づいていることを知りました。この時、事件が起こります。水夫たちが船から逃げ出そうとして、小舟を海に降ろしたのです。パウロは百人隊長に、「あの人たちが船にとどまっていなければ、あなたがたは助かりません」と言います。
水夫たちが逃げ出しても、百人隊長や兵士たちの生死には、あまり関係がないと思われます。実は、逃げ出した水夫たちの命を守る為に、パウロがあえてそのようにユリウスに申し出たとも考えられるのです。なぜなら、御使いがパウロに与えた言葉は、『神は同船している人たちを、みなあなたに与えておられる』と言うことなのです。
船に乗っていれば、彼らは助かるのです。しかし、逃げ出したのなら、御使いがパウロに語った言葉の適応から漏れることになります。よって、彼らは全員死ぬことになります。
かつて、主イエス様は、十二弟子たちに、
『「私に留まりなさい。私もあなたがたの中に留まります。あなたがたが私に留まり、私の言葉があなたがたに留まっているなら、何でも欲しいものを求めなさい。そうすれば、それはかなえられます。」』と、言われました。主イエスに、み言葉に留まる必要があるのです。
夜が明けかけた頃、パウロは一同に食事をするように勧めます。
「今日で十四日、あなたがたはひたすら待ち続け、何も口に入れず、食べることなく過ごしてきました。ですから、食事をするよう勧めます。これで、あなたがたは助かります。頭から髪の毛一本失われることはありません。」と。
この言葉は、主イエスが弟子たちに語られた言葉でもあります。こう言って、パウロはパンを取り、一同の前で神に感謝の祈りをささげてから、それを裂いて食べ始めたのです。
この場面は、主イエスが五千人の給食の時に、また、主がよみがえられたその日に、クレオパ夫妻にされたことと同じです。その時、クレオパ夫妻は主であることが分かったのです。
さて、パウロの呼びかけによって、皆も元気づけられ、食事を取りました。やがて、船は座礁し、百人隊長ユリウスは、泳げる者たちがまず海に飛び込んで陸に上がり、残りの者たちは、板切れや、船にある何かにつかまって行くようにと命じます。そして、奇跡的に、全員が無事に陸(マルタ島)に上がったのです。
これは、私たちクリスチャンの旅路のひな形でもあります。私たちは、主イエス・キリストと言う「船」に乗っているのです。この船に乗っている限り、必ず「御国」と言う目的地に着きます。大切なことは、乗り続けることです。決して降りないことなのです。
ただし、この船旅は、順風満帆ではなく、様々な試練が待ちかまえていることも事実です。私たちに必要なのは、忍耐なのです。主は、十二使徒たちに言われました。
「これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたが私にあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。私はすでに世に勝ちました。」(ヨハネ16:33)と。》