◇◆◇日々のみ言葉
2023年6月25日(日)
◎聖書箇所【マルコの福音書6章1節~3節】
6:1 イエスはそこを去って、郷里に行かれた。弟子たちもついて行った。
6:2 安息日になったとき、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。
6:3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。現代訳を掲載します。
『6:1 イエスはそこを去って、郷里に行かれたが、弟子たちも一緒に行った。
6:2 安息日になったので、会堂で教え始められた。それを聞いた多くの人々は驚いて言った。「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人の授かった知恵や、この人の手で、行なわれるこのような力強い奇跡をする力とは、いったい何なのでしょう。
6:3 この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄さんではありませんか。妹たちも、私たちと一緒にいるではありませんか。」こうして彼らはイエスにつまずいた。』
この記事は、マタイとマルコに記載されています。主イエスは、公生涯において3度、故郷ナザレに行かれたと伝えられています。昨日は、ルカに書かれた最初のナザレの帰郷について考えて見ました。
残念ながら、その時にも歓迎はされませんでした。そして、2度目の帰郷がこの場面となります。
ユダヤの会堂に集まっていた人々は、主イエスが小さい頃から顔見知りの人たちばかりでした。その人々が言います。
「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう。この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか。」と。
ここから、主イエスは、三十歳になるまでは、本当に目立たず、ナザレの大工として、人々と共に暮らしていたことが分かります。主は、一人の人間として、大工として生きて来たのです。
また、彼らは、「マリヤの子」だと言っていることから、すでにヨセフは召されています。そして、4人の弟と妹たちは、まだナザレに住んでいることが分かります。
ナザレの人々は、主イエスをメシアとして、信じ受け入れませんでした。つまり、彼らが良く知っている三十歳までのイエスと、今まさに、神の権威を持って立っているメシアなる主イエスとのギャップが、あまりにもかけ離れていたからこそ、彼らはつまずいたのです。》