• 2023年8月20日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書1章26節~38節】(新約聖書p.107下段右側)
    1:26 さて、その六か月目に、御使いガブリエルが神から遣わされて、ガリラヤのナザレという町の一人の処女のところに来た。
    1:27 この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリアといった。
    1:28 御使いは入って来ると、マリアに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」
    1:29 しかし、マリアはこのことばにひどく戸惑って、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。
    1:30 すると、御使いは彼女に言った。「恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。
    1:31 見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。
    1:32 その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。
    1:33 彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
    1:34 マリアは御使いに言った。「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
    1:35 御使いは彼女に答えた。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。
    1:36 見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。
    1:37 神にとって不可能なことは何もありません。」
    1:38 マリアは言った。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」すると、御使いは彼女から去って行った。

    ◎メッセージ【マリアの受胎告知】
    《さて、六か月目とは、マリアの親戚のエリサベツが懐妊してから六か月目のことです。御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町の一人の処女の所にやって来ました。この時、マリアは13歳くらいであったと伝えられています。
    「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。恐れることはありません、マリア。あなたは神から恵みを受けたのです。見なさい。あなたは身ごもって、男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。その子は大いなる者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また神である主は、彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その支配に終わりはありません。」
     これは、マリアが旧約聖書に預言されていたメシアの母になることが告げられています。『それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。(イザヤ7:14)』と。
     メシアは、ダビデの子孫の処女から生まれることになっていますから、ダビデの家系につながる処女たちは、自分こそがメシアの母になることを思い巡らしていたのです。
     また「イエス」と言う名前は、ヘブル語のイェーシューア(救い)、またはイェホーシューア(主は救い)をギリシヤ語化したもので、ユダヤ人の間では、ごく一般的な名前でした。
    「どうしてそのようなことが起こるのでしょう。私は男の人を知りませんのに。」
    「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれます。」
     マリアは聖霊によって身ごもることになります。聖霊が、父親の役割を果たすと言うことです。御使いガブリエルは、さらにしるしを示します。
    「見なさい。あなたの親類のエリサベツ、あの人もあの年になって男の子を宿しています。不妊と言われていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは何もありません。」と。
     マリアにとって、年老いたエリサベツは親戚にあたいします。この時点までは、マリアはエリサベツが身ごもった事を知らなかったに違いありません。なぜなら、エリサベツは、懐妊後五ヵ月もの間、安静にしていたからです。
    『「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのお言葉どおり、この身になりますように。」』
     この告白こそが、カトリック教会が、主の母マリアを崇敬する理由です。マリアは婚約していました。しかし、当時のユダヤ社会においては、婚約は結婚と同等と見なされたのです。一年間の準備期間を経て、晴れて婚宴が行なわれ、一緒になることが許されます。また、この期間中に、もし女性に姦淫の罪が見つかったとしたら、石打の刑もしくはユダヤ社会から追放されることになるのです。
     マリアはその覚悟をしたのです。また神様が言われたことは、必ず成就することに、全き信頼を抱いたのです。そして婚約者ヨセフは、必ず理解してくれると信じました。なぜなら、「神にとって不可能なことは何もありません」と言われた言葉を土台にしたからです。》

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