• 日々のみ言葉 2023年8月23日(水)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2023年8月23日(水)

    ◎聖書箇所【マルコの福音書8章22節~26節】
    8:22 彼らはベツサイダに着いた。すると人々が、盲人を連れて来て、さわってやって下さるようにイエスに願った。
    8:23 イエスは盲人の手を取って村の外に連れて行かれた。そしてその両眼につばきをつけ、両手を彼に当ててやって、「何か見えるか。」と聞かれた。
    8:24 すると彼は、見えるようになって、「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます。」と言った。
    8:25 それから、イエスはもう一度彼の両眼に両手を当てられた。そして、彼が見つめていると、すっかり直り、すべてのものがはっきり見えるようになった。
    8:26 そこでイエスは、彼を家に帰し、「村にはいって行かないように。」と言われた。

    ◎ショートメッセージ
    《昨日と同じ箇所からとなります。

     この頃の主イエス様の評判は、まさに大きく、主の乗られた舟がベツサイダに着くやいなや、群衆が待ち構えていたようです。
     そして、一人の盲人を主の御前に連れて来て、主にいやして下さるよう願い出ました。主イエス様は、彼の手を引いて、群衆から離れた所に連れて行きました。これは、癒やしの御わざは、見世物ではないことを、教えています。
     次ぎに主は、彼の両眼につばきをつけ、両手を彼に当てたのです。これはあまり歓迎されない方法です。しかし、主はあえてそうされたのです。

    「何か見えますか。」
    「人が見えます。木のようですが、歩いているようです。」

     それから、主イエス様はもう一度、彼の両眼に両手を当てられたのです。すると、次第に盲人の目は見えるようになって行き、ついには完全に癒されたのです。

     このことは、私たちに一体何を教えているのでしょうか。それは、癒し主であられる主の癒やしには、一瞬で癒される場合もあるし、また段階を経て癒される場合もあると言うことです。

     確かに、今現在は、医学が発達して、医薬品も充実していますし、様々な手術も新たな施術が開発されています。しかし、それでも、主が癒し主であることは、永遠に変わることのない真実です。
     主の恵みと哀れみがなければ、例え、どんな高度治療であったとしても、人は癒されることはないのです。》

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