◇◆◇日々のみ言葉
2023年8月30日(水)
◎聖書箇所【マルコの福音書8章34節~35節】
8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい。
8:35 いのちを救おうと思う者はそれを失い、私と福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『8:34 それから、イエスは群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われた。「だれでも、私の弟子になりたいなら、古い自我を捨て、恥と苦しみと死を意味する十字架を背負い、私に従って来なさい。
8:35 自己保身的な人は、かえって、大事な命を失ってしまう結果になり、私と福音のために、自分の命を犠牲にする人は、それを本当に自分のものとすることができます。」』
主イエス様は、第一回受難予告をされました。そして、主は群衆を弟子たちと一緒に呼び寄せて、彼らに言われました。ところで、ここで言います「弟子たち」とは、十二弟子を指し、また「群衆」とは、その他の弟子たちを指していると考えられるのです。
ただ単に、物見遊山に来た群衆に話しかけたとしても、彼らは、通り過ぎて行く人々なのですから、主の言葉は留まるはずはないのです。
「だれでも私について来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私について来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、私と福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。」
これが、主の弟子になることなのです。十二弟子たちには、すでにその心構えが出来ていたと思われます。そして、この言葉は、今現在の私たちにも向けられているのです。
「自分を捨て」ると言うことは、主に従うことです。また、「自分の十字架を負い」とは、誰にでも与えられている重荷のことです。私たちが高ぶらないようにと、それぞれに与えられています十字架のことです。
例えば、パウロの場合には、大きな「とげ」が与えられていました。
『また、その啓示があまりにもすばらしいからです。そのために私は、高ぶることのないようにと、肉体に一つのとげを与えられました。それは私が高ぶることのないように、私を打つための、サタンの使いです。このことについては、これを私から去らせて下さるようにと、三度も主に願いました。
しかし、主は、「私の恵みは、あなたに十分である。というのは、私の力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。(第Ⅱコリント12:7~12:9)』
これが、主が言われた「自分の十字架」なのです。》