◇◆◇日々のみ言葉
2023年9月4日(月)
◎聖書箇所【マルコの福音書9章2節~3節】
9:2 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。
9:3 その御衣は、非常に白く光り、世のさらし屋では、とてもできないほどの白さであった。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度、現代訳を掲載します。
『9:2 それから六日たって、イエスはペテロとヤコブとヨハネの三人だけを連れて、高い山に登って行かれた。そして彼らの目の前で御姿が変わった。
9:3 その服は非常に白く光り、この世のクリーニング屋では、とてもできないほどの白さであった。』
昨日は、「変貌山」の場所となった山について考察させていただきました。「タボル山」もしくは、「ヘルモン山」ですが、正解はどちらなのか、本当の所、分からないのが実情です。たとえ、どちらの山であっても、どちらも良く見える山で、シモン・ペテロとヤコブとヨハネが、その山を見るたびに、主イエス様の変貌と、父なる神様の御声を聞いたことを、思い起こすことになるのは、間違いないと思われます。
そのような、神体験の場所が彼らには必要であったのです。私にもあります。尾瀨沼の畔にあります「国民宿舎尾瀨沼ヒュッテ」です。私は、そこで主イエス・キリストに出会い、救われたのです。私の信仰の原点です。
シモン・ペテロは、後にこのように証ししています。
『私たちは、あなたがたに、私たちの主イエス・キリストの力と来臨とを知らせましたが、それは、うまく考え出した作り話に従ったのではありません。この私たちは、キリストの威光の目撃者なのです。キリストが父なる神から誉れと栄光をお受けになったとき、おごそかな、栄光の神から、こういう御声がかかりました。
「これは私の愛する子、私の喜ぶ者である。」
私たちは聖なる山で主イエスと共にいたので、天からかかったこの御声を、自分自身で聞いたのです。(第Ⅱペテロ1:16~1:18)』と。
日本のことわざの中に有ります、「初心にかえれ」は、とても大切な真理です。信仰生活が長くなって行きますと、救われた時のあの感動と喜びが、何時の間にか消え去ってしまう様なことが、あるのです。
その様な時こそ、神様の一方的な恵みと哀れみによって、罪と裁きから救い出されたことを、改めて思い起こすことが必要です。
そして、もう一度リバイバルされて、主の証人として、歩み続けるのです。明日も同じ箇所からです。》