◇◆◇日々のみ言葉
2015年9月8日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書5章11節~16節】
5:11 ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。
5:12 彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」
5:13 イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。
5:14 豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。
5:15 そして、イエスのところに来て、悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。
5:16 見ていた人たちが、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。
◎ショートメッセージ
《ここで大きな事件が起こったのだ。
主イエスの一行の舟が到着した場所には、墓があった。そこに住んでいた悪霊に取りつかれた男から、主イエスは悪霊ども(レギオン)を追い出された。その悪霊どもは、そこの山腹に飼われていた二千匹ほどの豚の群れに乗り移った。そして、その豚の群れが、突然わめきだし、狂いだし、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、おぼれてしまったのだ。
ところで、なぜマルコは、豚の数が分かったのであろうか。豚は異邦人の食べ物である。ローマ人は良く食べた。ユダヤ人は、聖書に書かれてある「戒め」から、汚れた動物を決して食べようとはしなかった。これは今でも同じである。正統的なユダヤ人は、豚肉を食べない。彼らに取って、ハム、ウィンナソーセージやベーコンは、汚れた食物なのである。
ここで余談となるのだが、ユダヤ教から救われ改宗し、クリスチャンとなったユダヤ人(メシヤニックジュー)の人々に、決してハム、ウィンナソーセージやベーコンなどの入った食べ物(例えばスパゲッティとか)を、食べるよう強要してはならないし、食べさせてはならない。彼らは、確かに主イエス(イエシュアー)を信じる人々とされたが、その前にユダヤ人であり、ユダヤ民族の誇りは持ち続けているのである。)
申命記には、このように書かれている。
『それから、主はモーセとアロンに告げて仰せられた。
「イスラエル人に告げて言え。地上のすべての動物のうちで、あなたがたが食べてもよい生き物は次のとおりである。動物のうちで、ひづめが分かれ、そのひづめが完全に割れているもの、また、反芻するものはすべて、食べてもよい。
しかし、反芻するもの、あるいはひづめが分かれているもののうちでも、次のものは、食べてはならない。豚。これは、ひづめが分かれており、ひづめが完全に割れたものであるが、反芻しないので、あなたがたには汚れたものである。」(申命記11:1~11:7抜粋)』
「黒豚」とか、日本でも美味しい豚肉があるように、この時代でも、この地の豚は有名であったと考えられる。二千匹とは、相当な数である。羊に羊飼いがいるように、豚には豚飼いがいた。しかも一人ではなく、何人もである。
彼らは、主イエスの一行の舟が、岸辺に着いて、そしてそこで、人々に恐れられていた、悪霊に取りつかれた男に起こったことを、一部始終見ていたのである。
それゆえ、豚が湖になだれこんで、おぼれ死んでしまった時、豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと、見にやって来たのだ。
そして、イエスのところに来て、その地の恐怖の種であった、悪霊に取りつかれた男が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見た。
ここで不思議なことが起こっている。何と正気に返った男が服を着ていることである。
平行記事として、ルカはこのように書き記している。
『イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。(ルカの福音書8:27)』》
男は裸であったのだ。そして全身傷だらけであった。その男が、着物を着ているのである。この着物はどうしたのか。弟子たちが、予備の着物を持っていたのであろうか。あるいは男が着物をしまっておいたのか。
もちろんその可能性も考えられる。しかしその男は、まったく生まれ変わった。救い主である主イエスと出会ったのだ。そうだとしたら、主ご自身が、奇跡的に、真新しい着物を、服をお与えになったと考える方が、自然ではないだろうか。
デカポリスとは、十の町という意味である。その町から、あるいは近くの村から大勢の人々が、やって来た。そして、一部始終を見ていた豚飼いの話に耳を傾けた。
墓場において、夜昼となく叫び続けた凶暴な男。これは、デカポリスに住む人々に取っては、大変に大きな問題であったし、悩みの種であった。しかもその男は、ルカによると、その町の者、つまり彼らの町の出身者であったのである。
その大きな問題が、主イエスによって解決されたのである。もう何時、墓に来ても、近くの道を通っても大丈夫となった。何たる恵みか。何たる奇跡か。
しかし、この後、町の人々は、主イエスに感謝を言い表すのではなく、違った行動を取ることになる。》