• 日々のみ言葉 2015年9月7日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年9月7日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書5章10節~13節】

    5:10 そして、自分たちをこの地方から追い出さないでくださいと懇願した。
    5:11 ところで、そこの山腹に、豚の大群が飼ってあった。
    5:12 彼らはイエスに願って言った。「私たちを豚の中に送って、彼らに乗り移らせてください。」
    5:13 イエスがそれを許されたので、汚れた霊どもは出て行って、豚に乗り移った。すると、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖におぼれてしまった。

    ◎ショートメッセージ

    《悪魔・悪霊どもの働きとは、主イエスが「牧者と門のたとえ」において話された通りである。

    『盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。(ヨハネの福音書10:10)』

     悪霊どもの仕事は、亡ぼすことにある。彼らには、良い点、良い所は何一つない。彼らには哀れみや慈しみや愛なども、これっぽちもない。すべてが悪そのものである。まさに真っ暗闇である。それほど、悪魔・悪霊どもは、徹底的に悪そのものなのである。悪しき存在そのものである。

     黙示録は、悪魔・悪霊どもの最後をはっきりと預言している。
    『そして、彼らを惑わした悪魔は火と硫黄との池に投げ込まれた。そこは獣も、にせ預言者もいる所で、彼らは永遠に昼も夜も苦しみを受ける。(ヨハネの黙示録20:10)』

     本来「地獄」とは、人間が行くべき場所ではなかった。神に敵対し、堕落した悪魔なるルシファーと、共に行動した三分の一の御使い(天使たち)すなわち悪霊どもの為に、父なる神が用意された場所であったのである。
     しかし、悪魔・悪霊どもは、自分たちだけがそこで永遠に苦しむのではなく、ひとりでも多くの人間を道連れにしようと、躍起になっているのである。

     それだからこそ、今から二千年ほど前に、主イエスが「救い主」として来られたのだ。
    主イエスは、ひとりでも多くの人々が救われるために、その罪の身代わりとして十字架に架かり、死ぬ為に来られたのである。主イエスを、心で信じ口で告白した者は、救われ、「永遠の亡び」から「地獄の裁き」から救い出されるのである。そればかりではない。「永遠の命」が与えられ、主と共に永遠に、御国において過ごすこととなるのだ。

     さて、本題に入ろう。
     悪霊どもは、悪霊に取りつかれている男の口を通して、自分たちをこの地方から追い出さないでくれと、主イエスに懇願した。そして山腹にいる豚の群れの中に送って、豚に乗り移らせてくれ、と願ったのである。
     「ガラサ」とは、デカポリス(10の町)の一つの町であり、ローマ様式の近代的な都市であった。ユダヤ人は、決して食べないが、ローマ人は豚を食べる。よって、そこには羊飼いではなく、豚飼いがいて、何と二千匹の豚を飼っていたのである。

     主イエスは、悪霊どもの願いを許可された。
    すると、汚れた霊どもは、その男の人から出て行って、豚に乗り移った。何と、二千匹ほどの豚の群れが、険しいがけを駆け降り、湖へなだれ落ちて、湖でおぼれてしまったのである。
     人間は、自殺をするが、動物は自殺をしない。悪霊どもは、二人の男を亡ぼすことができなかったので、その代わりとして二千匹の豚の群れを、滅ぼしたのである。それを見ていた豚飼いは、何と驚いたことであっただろうか。

     今も悪魔・悪霊どもは、その働きを少しも手を抜かず、そして休むことなく、絶え間なく続けている。そして多くの人々を亡ぼしているのである。
     悪魔・悪霊どもは、自分たちに残された時間が、もう非常に短いことを知っている。そして間もなく主イエスが再臨されることも良く知っている。

     今こそ、私たちクリスチャンは立ち上がるべきである。私たちの戦いは、対人間ではない。その背後に隠れている悪しき存在なのである。

     使徒パウロは言う。
    『私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。(エペソ人への手紙6:12)』

     また武器もすでに与えられている。それは「信仰」と「み言葉(聖書)」と、「祈り」である。

    『ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。では、しっかりと立ちなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。
     これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。
    すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。(エペソ人への手紙6:13~6:18)』》

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