• 日々のみ言葉 2015年9月6日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年9月6日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書5章6節~9節】

    5:6 彼はイエスを遠くから見つけ、駆け寄って来てイエスを拝し、
    5:7大声で叫んで言った。「いと高き神の子、イエスさま。いったい私に何をしようというのですか。神の御名によってお願いします。どうか私を苦しめないでください。」
    5:8 それは、イエスが、「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたからである。
    5:9それで、「おまえの名は何か。」とお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから。」と言った。

    ◎ショートメッセージ

    《昨日の続きとなる。
     マタイの福音書から、悪霊に取りつかれた男は二人であることが分かった。しかしマルコとルカは、そのうちの一人の男に焦点を当てて、福音書に書き記したことはすでに学んだ。よって、ここでも主イエスの御もとに駆けつけて来たのは、二人の男である。

     さて、悪霊に取りつかれた男たちは、イエスを遠くから見つけたとある。これは、男たち本人が気づいたのではなく、その男たちの中にいた悪霊どもが、主イエスに気づいたということである。悪霊どもは、主イエスを良く知っていたからである。

     悪霊どもは、最初から皆が悪霊であったのではない。良く言われることだが、神はなぜ悪魔や悪霊を創造されたのか、ということを。創造主なる神は、全き善のお方であられ、人に仕える者として、「天使(御使い)」を創造された。

     しかし御使いの頭であった、天使長ルシファーが、おごり高ぶり、自分をも礼拝されるべき存在になりたいと、野心と欲望を抱いたのであった。そして創造主なる神に、自分を創造してくださった神に反逆したのである。その時に、ルシファーすなわち悪魔は、巧みに三分の一の天使・御使いをもだまして、自分の配下に置いたのだ。それが悪霊どもである。天にある神の国に存在していた時は、輝かしい美しい存在であったルシファーと天使たちも、神から離れた時に、醜いおぞましい存在となり果てた。

     男たちは、主イエスを「拝した」と書かれている。これは主イエスを礼拝したのではない。主イエスの神の権威に、ひざまずいただけである。彼らはひざまづくしか出来なかったのであり、「苦しめないでください」と言うことから、主イエスは、その気になれば、悪霊どもを苦しめることができる、ということである。
     ここで不思議なことが書かれている。それは、主イエスは、はっきりと「汚れた霊よ。この人から出て行け。」と言われたにも関わらず、なぜ悪霊は、まだ出て行こうとせず、その男たちの中に留まっていられたのか、ということである。主イエスの権威が通用しなかったのであろうか。創造主なる神であられる主イエスには、そのようなことは何一つあるはずがないにも関わらず。

     ではなぜか。主イエスの三年半にわたる公生涯の一番の目的は、弟子を育てること、つまり十二使徒の弟子訓練にあった。
     この後、主イエスは悪霊どもに、その名前を聞くのである。

    「おまえの名は何か。」と、主イエスがお尋ねになると、「私の名はレギオンです。私たちは大ぜいですから。」と、悪霊どもは答えた。

    「レギオン」とは、ローマ軍隊の一個師団である。その兵の数は六千人と言われている。何とその数の悪霊が、その二人の男たちに入っていたというわけである。ほぼ100%完全に支配された状態だと言っても良い。
     ここで追い出すには、「名前」を知る必要があることを、弟子たちに教えているのだ。主イエスに答えたのは、レギオンの中でも最も強い悪霊、すなわちリーダー格である可能性が高い。なぜなら一番強い者を縛り上げれば、その家は簡単に乗っ取れるからである。

     主は使徒たちに、このように命令された。

    『それから、イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、すべての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。信じてバプテスマを受ける者は、救われます。しかし、信じない者は罪に定められます。
     信じる人々には次のようなしるしが伴います。すなわち、私の名によって悪霊を追い出し、新しいことばを語り、蛇をもつかみ、たとい毒を飲んでも決して害を受けず、また、病人に手を置けば病人はいやされます。」
     主イエスは、彼らにこう話されて後、天に上げられて神の右の座に着かれた。そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。(マルコの福音書16:15~16:20)』

    「私の名によって悪霊を追い出し~」
     主イエスの御名を使うことができる権威は、すべてのクリスチャンに与えられている。》

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