◇◆◇日々のみ言葉
2015年9月5日(土)
◎聖書箇所 【マルコの福音書5章1節~5節】
5:1 こうして彼らは湖の向こう岸、ゲラサ人の地に着いた。
5:2 イエスが舟から上がられると、すぐに、汚れた霊につかれた人が墓場から出て来て、イエスを迎えた。
5:3 この人は墓場に住みついており、もはや誰も、鎖をもってしても、彼をつないでおくことができなかった。
5:4 彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、誰にも彼を押えるだけの力がなかったのである。
5:5 それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。
◎ショートメッセージ
《この記事も、3つの共観福音書に掲載されている。
マタイの福音書では、
『それから、向こう岸のガダラ人の地にお着きになると、悪霊につかれた人がふたり墓から出て来て、イエスに出会った。彼らはひどく狂暴で、誰もその道を通れないほどであった。(マタイの福音書8:28)』
そしてルカの福音書では、
『こうして彼らは、ガリラヤの向こう側のゲラサ人の地方に着いた。イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。(ルカの福音書8:26~8:27)』
まず、主イエスが渡られた「向こう岸」とは、ゲラサ人の地であり、ヨルダン川の東岸約30キロ、ガリラヤ湖と死海のおよそ中間に位置している場所である。ここはデカポリス(十の町)の一つの町であった。現在のケルサを指している。マタイでは、「ガダラ人」となっている。しかしマルコとルカでは、「ゲラサ人」であるが、異本では「ゲルゲサ人」とも書かれている。一体どれが正しいのか、ここでは判断をつけかねるが、推測からして、マタイはユダヤ人であり、ヘブル語で福音書を書き、マルコと医者ルカは、ギリシャ語に堪能していたので、ギリシャ語読みが「ゲラサ」であり、ヘブル語読みが「ガラダ」かも知れない。どちらにせよ、日本語に翻訳する時には、統一してほしいと思う。
また、マタイは、悪霊に憑かれた男が「二人」いたと書き記している。マルコとルカが、人数を書き間違えたと言うよりも、実際に、悪霊につかれた男は二人いて、マルコとルカは、そのうち最も目立った男についてのみ、特に注目して書いたとするのが妥当のようである。
さて、ここでもう一度、この「ゲラサ」について考えて見たい。ゲラサはデカポリス(「10の町」という意味)の一つであり、紀元前4世紀以降、ヘレニズム文化の町として興隆したものと思われる。ユダヤ歴史家ヨセフォスによれば、紀元前63年ポンペイウスに征服されるまでは、しばらくの間ユダヤ人の手にあり、その後はローマの属領シリヤに組み入れられた。貿易の利によって紀元1世紀には、典型的なローマ人の町として整備され、アルテミスやゼウスの神殿、劇場や城壁が建設された。当時においては、近代的なローマ都市であったのだ。もちろん異邦人の町である。
ローマ人は、今の私たちと同じように豚肉を食べる。しかしユダヤ人は、決して豚肉を食べない。それは、彼らに取っては汚れた動物、家畜であるからである。今でも正統的なユダヤ人は、豚肉を食べることをしない。徹底しているのだ。彼らが食べることの許されているものは、牛肉、羊肉である。
しかし、面白いことが聖書には書かれている。「使徒の働き」において、サウロがパウロと変えられ、「異邦人の使徒」となった時代、十二使徒のリーダーであったシモン・ペテロは、主イエスに「異邦人(コルネリオ)への伝道」に導かれ、何と豚肉を食べるようになるのである。しかも、それが大好物となるから、不思議なことである。
ちなみに私は、トンカツが大好物である。とは言っても、毎日のように食べているのではなく、月に2・3回程度であるが。健康の為、なるべく油濃い食べ物は控えるようにしている。また味も極力薄味を好んでいる。美味しいものは、味が濃いからである。健康管理は必要である。
さて本題に戻ろう。主イエスの一行がゲラサにつくと、悪霊に取りつかれた二人の男が、主イエスの御もとに来た。そして主イエスを迎えたという。これは主イエスを歓迎したのではない。悪霊どもは、その男たちから追い出されることを恐れて、主イエスに懇願しに来たのである。悪霊どもは主イエスを信じていたのではない。主イエスがどなたであるのかを、本当に知っていたのである。知っていることと、信じていることとは全く違う。
この男たちは、墓場に住んでいた。当時の墓場は、今とは違っていて、横穴式に掘った洞穴であった。
『彼らはたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、誰にも彼らを押えるだけの力がなかったのである。』
まさしく「暗闇の力」である。悪霊が、その男をほぼ完全に支配しており、その男たちは、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた、というわけだ。もはや誰にも押さえることができなかったのである、。悪霊どもは、その男たちを亡ぼそうとしていたのである。そこへ、主イエスがやって来られた。何の為に。そう。その男の人たちを救い出す為に。》