• 日々のみ言葉 2015年9月10日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年9月10日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書5章18節~20節】

    5:18 それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。
    5:19 しかし、お許しにならないで、彼にこう言われた。「あなたの家、あなたの家族のところに帰り、主があなたに、どんなに大きなことをしてくださったか、どんなにあわれんでくださったかを、知らせなさい。」
    5:20 そこで、彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた。

    ◎ショートメッセージ

    『豚を飼っていた者たちは逃げ出して、町や村々でこの事を告げ知らせた。人々は何事が起こったのかと見にやって来た。豚を飼っていた者たちは、悪霊につかれていた人に起こったことや、豚のことを、つぶさに彼らに話して聞かせた。すると、彼らはイエスに、この地方から離れてくださるよう願った。(マルコの福音書5:14~5:17抜粋)』

     デカポリスの町や村々の人々は、主イエスに、この地から立ち去ってくれと懇願した。そこで、主イエスは弟子たちと共に舟に乗り、カペナウムに戻ろうとした。とその時、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願ったとある。この時、彼は一体どのような格好をしていたのであろうか。

     マルコは少し前の箇所に、このように書き記している。

    『悪霊につかれていた人、すなわちレギオンを宿していた人が、着物を着て、正気に返ってすわっているのを見て、恐ろしくなった。(マルコの福音書5:15抜粋)』

     彼は、着物を着ていたのだ。では、かつての彼は、どうであったろうか。

     ルカは平行記事として、その福音書にこのように書き記している。

    『イエスが陸に上がられると、この町の者で悪霊につかれている男がイエスに出会った。彼は、長い間着物も着けず、家には住まないで、墓場に住んでいた。(ルカの福音書8:27)』

     彼は、長い間着物も着けず裸であった。そればかりではない。

    『彼はたびたび足かせや鎖でつながれたが、鎖を引きちぎり、足かせも砕いてしまったからで、誰にも彼を押えるだけの力がなかったのである。それで彼は、夜昼となく、墓場や山で叫び続け、石で自分のからだを傷つけていた。(マルコの福音書5:4~5:5)』

     彼は、手かせ、足かせを砕き、鎖を引きちぎったのである。しかも何度も。当然生身の人間なら、両手・両足は血だらけであったはずだ。また石で自分の体を傷つけていたとある。もちろん彼を亡ぼそうとしている悪霊ども、レギオンの仕業である。よって全身傷だらけ、血だらけであったと思われる。
     そして彼は墓場に住んでいたから、髪の毛やひげは伸び放題、もしかしたら両手・両足の爪は、人間界から追放された、バビロン王ネブカデネザルのようであったかも知れない。そんな男が、着物を着て、正気になり主イエスの御前に座っていたのだ。
     
     悪霊どもは、暗闇、死、汚れ、悪臭、血を好む。しかし神は、悪魔・悪霊どもとは正反対に、光、生命、聖さ、乳香、癒やしを愛される。だとしたら、主イエスは、生まれ変わったその男に、着物を与えただけではなく、すべての汚れを取り除き、すべての傷をいやされ、香しい臭いに包まれた普通の人へと、一瞬にして変えられたのではないだろうか。

    『それでイエスが舟に乗ろうとされると、悪霊につかれていた人が、お供をしたいとイエスに願った。』

     ルカによれば、この男は、この町、すなわちデカポリスの一つの町の出身であった。
    主イエスは、町や村々の人々の願いによって、ここを去らなければならなかった。この後、二度と主イエスは、この地を訪れることはなかった。

     なぜ主イエスは、この男の同行を許されなかったのか、それは主イエスの証人として、デカポリスの町々に遣わさせるためであった。

     彼には家族がいた。もしかしたら妻や子どもたちもいたかも知れない。彼の家族の悲しみや苦しみは、いかばかりであったろうか。夜昼と、絶え間なく墓場で叫び声をあげていたし、またあまりも凶暴なため、墓場の近くの道を、通ることさえできなかったのだ。彼の家族は、人目をはばんで、小さく、そしてこっそりと生活していた。人が犯した罪は、その家族をも苦しめることとなる。

     主イエスは、その男を解放し、救い出しただけではなく、その家族の苦しみや悲しみをも取り除かれた。主イエスが、自分に対してどれほどのことをしてくれたか、彼はデカポリスの町々に証し回った。そして主イエスのみわざについて言い広めた。

     この男のように、私たちにも主イエスからバトンが渡されているのだ。》

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