• 日々のみ言葉 2024年1月22日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2024年1月22日(月)

    ◎聖書箇所【マルコの福音書14章35節~36節】
    14:35 それから、イエスは少し進んで行って、地面にひれ伏し、もしできることなら、この時が自分から過ぎ去るようにと祈り、
    14:36 またこう言われた。「アバ、父よ。あなたにおできにならないことはありません。どうぞ、この杯を私から取りのけて下さい。しかし、私の願うことではなく、あなたのみこころのままを、なさって下さい。」

    ◎ショートメッセージ
    《現代訳を掲載します。
    『14:35 それから、イエスは少し進んで行き、地面にひれ伏し、もしできることなら、十字架に掛からないで済むようにしていただきたいと祈り、
     14:36 またこう言われた。「天のお父様。あなたに不可能なことはございません。どうか十字架に掛かるという、この苦い杯を飲まないでも済むようにして下さい。けれでも、私がの願っていることよりも、あなたのみ心がなりますように。」』

     新改訳では、「杯」と訳していますが、現代訳では、はっきりと「十字架」と訳しています。イエス様はすでに、弟子たちに、ご自身が「十字架」に掛けられることを預言されています。
     当時のユダヤでは、死刑と言えば「石打ちの刑」でした。「十字架刑」は、ローマ帝国が「見せしめ」の為に考え出した最も残酷な刑であり、反逆者に処せられた刑です。
     それゆえ、弟子たちには信じられなかったのです。主イエス様は、ローマ帝国に対して、いっさい反逆的な態度を取ってはおられなかったからです。

     この場面に同席していたのは、シモン・ペテロとゼベダイの子ヤコブとヨハネでした。よって、主が祈られた言葉を聞いていたのも、彼らでした。しかし彼らでさえ、疲れとほろ酔い加減の為に、眠気と戦っていたのです。
     ところで、なぜ主イエス様は、深い悲しみにおそわれ、父なる神様に、このように祈られているのでしょうか。
     主は、すべての人の罪を背負い、身代わりとして死ぬことを、すでにご存じであったはずです。しかも、「自分から命を捨てられる」ということも言われました。
     それにも関わらず、なぜこのようなお祈りと願いをされたのでしょうか。人類を救うためには、これしかないことを、三位一体の神様はご存知であったはずなのです。

     その答えはただ一つです。主は真の神様であられましたが、私たちと全く同じく、真の人になられたからです。

     主は、私やあなたが永遠に生きる為に、一人の人として身代わりになって死んで下さり、そして三日目によみがえられたのです。ハレルヤ!》

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