• 日々のみ言葉 2015年9月17日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年9月17日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書5章33節】

    5:33 女は恐れおののき、自分の身に起こった事を知り、イエスの前に出てひれ伏し、イエスに真実を余すところなく打ち明けた。

    ◎ショートメッセージ

    『彼女は、イエスのことを耳にして、群衆の中に紛れ込み、うしろから、イエスの着物にさわった。「お着物にさわることでもできれば、きっと直る。」と考えていたからである。すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、からだに感じた。 イエスも、すぐに、自分のうちから力が外に出て行ったことに気づいて、群衆の中を振り向いて、「だれがわたしの着物にさわったのですか。」と言われた。
     そこで弟子たちはイエスに言った。「群衆があなたに押し迫っているのをご覧になっていて、それでも『だれがわたしにさわったのか。』とおっしゃるのですか。」
     イエスは、それをした人を知ろうとして、見回しておられた。(マルコの福音書5:27~5:32)』

     さて、また本日も昨日の続きとなる。「彼女」とは、十二年の間長血をわずらっている女性のことである。

    「主イエスの着物にさわることが出来れば、きっと直る。」

     そして彼女は、主イエスの後ろから回り込み、主イエス着物のふさをさわった。その瞬間、彼女は、いやされたのだ。彼女は、出血が止まったことを、彼女の体の中に大きなことが起こったことを感じたのだ。

     その時である。

    主イエスが、群衆の中を振り向いて、「誰が私の着物にさわったのですか。」
     
     それだけではない。イエスは、さわった人を知ろうとして、見回しておられた。この時の女性の気持ちはいかばかりであったろうか。もちろん彼女は、知らん顔をも出来た。だまって、そこから立ち去ることもできた。逃げ去ることも選択できたはずである。

     彼女は恐れおののいた。この場合の恐れとは、主に対する畏怖の恐れ、そして多くの群衆の前で、自分のしたことを認めること、表明することの恐れ、そしてもう一つは、人の目の恐れではなかっただろうか。

     女は、ついに主イエスの御前にひれ伏して、自分の身に起こったことを、真実を余すところなく打ち明けた。

     この時、この女性が、主イエスに語ったこと、証したことを、残念ながらマルコは、書き留めてはいない。憶測でその状況を再現して見よう。

    「主よ。イエス様。私です。私が、あなた様の着物のふさをさわったのです。私は、十二年間の長い間、「長血」で、ずーっと苦しんで来ました。多くの医者に診てもらったのですが、医者は高い治療代や薬代を請求して、とうとう私は、自分の財産を使い果たしてしまいました。もはや、薬を買うお金もなく、何の希望も見い出せませんでした。もう死んでしまいたいと思いましたが、ある人から、「メシヤ」なるお方が現われた、と聞いたのです。そしてそのお方は、カペナウムを拠点として、ユダヤ全国を巡回しておられるとのこと。そしてそのお方によって、多くの病がいやされ、また多くの災いがいやされたことを。そして、そのお方が、またカペナウムに戻って来られたことを。それを聞いて、いても立ってもいられなくて、駆けつけて来たのです。「お着物にさわりさえすれば、私はいやされる。」という強い確信が、なぜだか私の心の中に植え付けられたのです。そして群衆の中を、かき分け、かき分けて、ついにイエス様の着物のふさをさわりました。
     そうしましたなら、突然私の体が、ものすごく熱くなったのです。そして、体の奥底から、何か温かいものが溢れ出て、気がついた時には、出血の源が枯れて、全くいやされたことを感じたのです。私が、イエス様の着物にさわりました。そして私はいやされました。主イエス様が、いやしてくださったのです。」

     証しとは、主イエスが、どんな素晴らしいことを、私(自分)自身にして下さったことを語ることである。その主語は、私であり、あなたとなるのだが、本来は主イエスが、神の御子が、主語になるべきである。「主が、このようなことを私にしてくださったのです。」これこそが、主イエスに栄光を帰すこととなる。
     
     それでは、そのような証となる神体験がない人は、どうしたら良いのか。そのような人は、証ができるよう、主に祈り求めれば良いのである。必ず、主はあなたに、「生きて働かる神」であられることを、示してくださるはずだ。

    『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
     誰であれ、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。(マタイの福音書7:7~7:8)』》

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