◇◆◇日々のみ言葉
2024年2月28日(水)
◎聖書箇所【マルコの福音書15章11節】
15:11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。ほとんど同じ内容になっています。
『15:11 しかし、祭司長たちは、群衆を扇動して、バラバを釈放してもらいたいと言わせた。』
ルカは、ポンテオ・ピラトがエルサレムにおいて行なったことを書き記しています。『ちょうどそのとき、ある人たちがやって来て、イエスに報告した。ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたというのである。
イエスは彼らに答えて言われた。「そのガリラヤ人たちがそのような災難を受けたから、ほかのどのガリラヤ人よりも罪深い人たちだったとでも思うのですか。」(ルカ13:1~13:2)』と書き記しています。
「ある人たち」はエルサレムからやって来たと思われます。そして、エルサレムに行こうとしている主イエス一行に、報告したのです。
それによりますと、「ピラトがガリラヤ人たちの血をガリラヤ人たちのささげるいけにえに混ぜたという」ことでした。
これは、どのような意味なのでしょうか。つまり、このガリラヤ人たちは、エルサレムの祭りの巡礼に乗じて、不穏な動きをしたのです。暴動を起こしたのです。
それゆえ、ピラトは部下に命じて彼らを虐殺したのです。バラバたちも同じです。主イエス様が捕らえられる少し前に暴動を起こし、制圧されて捕らえられたのです。その時、数名のローマ兵が犠牲になったと思われます。
そして、ユダヤ人たちがエルサレムに最も集まる「過越の祭」において、見せしめのために十字架刑に処する気でいたことが分かります。
よって、ユダヤ人に取っては、ある意味では、バラバは英雄でもあるのです。単なる強盗や通り魔のような卑劣な者だとしたら、どうして群衆がそんな危険な人物を釈放することを願うでしょうか。
「バラバ・イエス」か、それとも「ナザレのイエス」か、ポンテオ・ピラトは、群衆に問うています。
祭司たちが、釈放を願っていることから、エルサレムにおいては、少しは名の知れた者かも知れません。
本来バラバがかけられるはずの十字架に、主イエス様が身代わりとしてかかげられます。まさしく、罪人の身代わりとなって死んで行かれるのです。》