◇◆◇日々のみ言葉
2024年2月29日(木)
◎聖書箇所【マルコの福音書15章12節~14節】
15:12 そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」と言った。
15:13 すると彼らはまたも「十字架につけろ。」と叫んだ。
15:14 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫んだ。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『15:12 そこで、ピラトはもう一度尋ねて言った。「それでは、その方たちがユダヤ人の王と呼んでいるこの男は、どうしたらよいのか。」
15:13 彼らは、「十字架につけろ。」と言った。
15:14 ピラトは言った。「それでは、この男がどんな悪事をしたというのか。」
しかし、彼らはますます叫んで、「十字架につけろ」と言った。』
祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせました。そこでピラトは、もういちど群衆に尋ねます。
「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」
群衆は、誰もが主イエスのことを「ユダヤ人の王」とは呼んでいません。その事を知っていたピラトは、あえて皮肉を込めて聞いたのです。すると群衆は、叫びます。
「十字架につけろ。」
「それでは、この男がどんな悪事をしたというのか。」
「十字架につけろ。」
ヤーヴェなる創造主なる神様は、なぜ人類救済の旗印に、「十字架」を選ばれたのでしょうか。しかも死刑のシンボルを。
実は、ここにも「神様の深い摂理」があるのです。それは、かつては究極の「死のシンボル」であった十字架が、主が三日目によみがえられたことによって、同じく究極の「永遠のいのち」のシンボルと変えられることになるのです。
十字架こそが、私たちが最も誇るべきものなのです。私たちは、この十字架によって「神の子ども」とされました。
そして、この時、祭司長たちや祭司、律法学者たちや民の長老たちが、群衆を扇動し言わせた言葉は、「十字架につけろ」でした。
この言葉通りに、紀元70年、エルサレムが陥落した時に、その時生き残っていた彼らは皆、エルサレムの周りに、十字架につけられることになるのです。》