◇◆◇日々のみ言葉
2024年3月1日(金)
◎聖書箇所【マルコの福音書15章15節】
15:15 それで、ピラトは群衆のきげんをとろうと思い、バラバを釈放した。そして、イエスをむち打って後、十字架につけるようにと引き渡した。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『15:15 それで、ピラトは群衆のごきげんをとろうと思い、バラバを釈放してやり、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。』
「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」
「十字架につけろ。」
「それでは、この男がどんな悪事をしたというのか。」
「十字架につけろ。」
ついに、群衆の声がポンテオ・ピラトを打ち負かしました。実は、この後にも、ピラトと群衆のやり取りがあったことを、マタイは書き記しています。
マタイによりますと、
『そこでピラトは、自分では手の下しようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、群衆の目の前で水を取り寄せ、手を洗って、言った。
「この人の血について、私には責任がない。自分たちで始末するがよい。」
すると、民衆はみな答えて言った。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
そこで、ピラトは彼らのためにバラバを釈放し、イエスをむち打ってから、十字架につけるために引き渡した。(マタイ27:24~27:26)』と。
民衆(群衆)がみな答えて言った言葉は、まさしく真の預言になったのです。
「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい。」
この言葉こそが、ユダヤ人がその後、二千年にもおよぶ迫害された事実につながるのです。なぜ、「私たち」だけに留めなかったのでしょうか。「子どもたち」とは、その後の彼らの子孫全員にまで、ふりかかる結果になったからです。
しかし、そうであっても、彼らは神様が選ばれた選民なのです。その事実は永遠に変わることはありません。携挙の後、再び彼らが中心となる時代がやって来るのです。》