◇◆◇日々のみ言葉
2024年4月14日(日)
◎聖書箇所【マルコの福音書16章14節】
16:14 しかしそれから後になって、イエスは、その十一人が食卓に着いているところに現われて、彼らの不信仰とかたくなな心をお責めになった。それは、彼らが、よみがえられたイエスを見た人たちの言うところを信じなかったからである。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『16:14 その後、イエスは十一人の使徒たちが食事の席に着いている所に現われ、彼らの不信仰と、心のかたくななことを、お責めになった。それは、彼らが、復活されたイエスを見た人々の言うことを信じなかったからである。』
マルコは、「十一人の使徒」たちが集まっていると書き記していますが、実は、デドモと呼ばれた使徒トマスは、その場にいませんでした。よって十一人の弟子ではなく、正確には、トマスとイスカリオテのユダを除く、十人の使徒たちが集まっていたことになります。
しかし、マルコの福音書のこの箇所は、後になって付け加えられたものであって、ヨハネが書き記した「週の初めの日の夕方」の出来事を指していないかも知れません。
となりますと、その一週間後の出来事であって、トマスがいた時の場面に相当する可能性があります。
ヨハネの福音書の平行記事によりますと、
『八日後に、弟子たちはまた室内におり、トマスも彼らと一緒にいた。戸が閉じられていたが、イエスが来て、彼らの中に立って「平安があなたがたにあるように。」と言われた。
それからトマスに言われた。「あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい。手を伸ばして、私のわきに差し入れなさい。信じない者にならないで信じる者になりなさい。」
トマスは答えてイエスに言った。「私の主。私の神。」
イエスは彼に言われた。「あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです。」(ヨハネ20:26~20:29)』と書かれています。
この時、十一弟子たちは食事をしていたと思われます。この後に、主イエスは、彼らの不信仰とかたくな心をお責めになられたのではないでしょうか。
十二弟子たちのほとんどの者たちが、主イエスの3年半にもおよぶ公生涯を共にし、多くの奇跡やしるしを目の当たりに見たにもかかわらず、信じることが出来なかったということは驚きです。
このことから、いかに私たち人間が不信仰であるのか、また疑い深い者であるのかを教えています。
私たちは、彼らのように、主イエスご自身をこの目で見ることも、その声をこの耳で聞くことも、今は出来ませんが、信じ続けて行こうではありませんか。このお方に、すべての答えがあるのですから。》