◎本日の聖書箇所【ルカの福音書4章31節~37節】(新約聖書p.116下段左側)
4:31 それからイエスは、ガリラヤの町カペナウムに下られた。そして安息日には人々を教えておられた。
4:32 人々はその教えに驚いた。その言葉に権威があったからである。
4:33 そこの会堂に、汚れた悪霊につかれた人がいた。彼は大声で叫んだ。
4:34 「ああ、ナザレの人イエスよ、私たちと何の関係があるのですか。私たちを滅ぼしに来たのですか。私はあなたがどなたなのか知っています。神の聖者です。」
4:35 イエスは彼を叱って、「黙れ。この人から出て行け」と言われた。すると悪霊は、その人を人々の真ん中に投げ倒し、何の害も与えることなくその人から出て行った。
4:36 人々はみな驚いて、互いに言った。「この言葉は何なのだろうか。権威と力をもって命じられると、汚れた霊が出て行くとは。」
4:37 こうしてイエスのうわさは、周辺の地域のいたるところに広まっていった。
◎メッセージ【ガリラヤ宣教の始まり】
《故郷ナザレにおいて、公にメシア宣言された主イエスは、再びカペナウムに戻られました。実は、ルカは省略していますが、この後に、ガリラヤ湖畔において、弟子たちの再招集が行なわれます。すなわち、シモンとアンデレとゼベダイの子ヤコブとヨハネを主はお呼びになります。すると彼らは、すべてを残してついて行きます。
それから一行は、安息日にカペナウムの会堂に入ります。そして、主は人々に教えられます。人々はその教えに驚きます。なぜなら、その言葉に権威があったからです。
このことについてヨハネは、
『神が遣わした方は、神の言葉を語られる。神が御霊を限りなくお与えになるからである。』と、言っています。真の人であり、真の神様でもあられた主イエスが語られた言葉は、まさしく神の言葉であったのです。
また、主ご自身が、「最後の晩餐」を終えた時に、明確に、この真理を教えられました。
『「私が父のうちにいて、父が私のうちにおられることを、信じていないのですか。私があなたがたに言う言葉は、自分から話しているのではありません。私のうちにおられる父が、ご自分のわざを行なっておられるのです。」』と。
さて、当時のユダヤの大きな問題は、「悪霊」でした。実は今でもそうなのですが、開発途上国においては、顕著にその問題に、宣教師は出くわすのだそうです。
しかし、先進国においては、悪霊は、巧妙に姿を隠していて、人々の目に触れることなく、インターネットやゲームなどを通じて、人々を罠に仕掛けて、攻撃して来ます。
また、私たちクリスチャンに対しても、容赦なく悪霊は攻撃を仕掛けて来ます。しかし、悪霊を恐れてはなりません。むしろ、悪霊どもの方が、私たちを恐れているのです。
主イエス様は、十二弟子や、60人の弟子たちに、すべての悪霊を追い出し、病気を治す為の力と権威とを授けられました。そして、私たちにも、同じ力と権威が与えられています。
しかし、本当の武器は、み言葉なのです。使徒パウロは、
『悪魔の策略に対して堅く立つ事ができるように、神のすべての武具を身に着けなさい。私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。
ですから、神のすべての武具を取りなさい。腰には真理の帯を締め、胸には正義の胸当てを着け、足には平和の福音の備えをはきなさい。これらすべての上に、信仰の盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢をすべて消すことができます。救いのかぶとをかぶり、御霊の剣、すなわち神の言葉を取りなさい。あらゆる祈りと願いによって、どんなときにも御霊によって祈りなさい。』と。
信仰と祈りは防御の為ですが、唯一の武器である「剣」は、「神の言葉」なのです。
こうして主イエスのうわさは、周辺の地域のいたる所に広まって行きました。第一回ガリラヤ宣教が始まったのです。》