• 日々のみ言葉 2015年10月3日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年10月3日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書6章17節~20節】

    6:17 実は、このヘロデが、自分の兄弟ピリポの妻ヘロデヤのことで、――ヘロデはこの女を妻としていた。――人をやってヨハネを捕え、牢につないだのであった。
    6:18 これは、ヨハネがヘロデに、「あなたが兄弟の妻を自分のものとしていることは不法です。」と言い張ったからである。
    6:19 ところが、ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。
    6:20 それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。また、ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。

    ◎ショートメッセージ

    『なぜ、マルコは、ここにヘロデのことを、突然挿入したのであろうか。実際ここには、主イエスも、そして十二使徒たちも出てこないのである。

     ここでヘロデとは誰であるのか、少し説明が必要である。
    主イエスが、お生まれになる時、ユダヤを治めていたのは、ヘロデ大王であった。東方から博士たちがエルサレムに宮殿に尋ねてきて、「ユダヤ人の王としてお生まれになったというお方は、どこにおいでになりますか。」と聞いた時、うろたえたのは、このヘロデ大王である。このヘロデ大王は、十人の妻をめとり十五人の子どもがいた。そのうちの一人が、ヘロデ・アンティパスであった。
     アンティパスの最初の妻は、ナパデヤ王国のアレタ四世の娘で、アンティパスが紀元28年頃ローマを訪問した時、異母兄弟である兄ピリポがそこにいたので、兄を訪ねた所、兄の妻ヘロデヤの美貌に惹かれて、ひそかに結婚を申し込んだのである。
     このヘロデヤというのは、ヘロデ大王の子アリストブルスの娘で、アンティパスにとっても、ピリポにとっても姪にあたる女であったのだ。
     このヘロデヤという女は、ものすごい美貌の持ち主であったのだが、かなりの悪女であった。夫ピリポよりも、義理の弟アンティパスの方が、有望株であると判断し、夫を捨てて、娘サロメと共に、ヘロデ・アンティパスと結婚したのであった。

     そのことを、バプテスマのヨハネは、おそらく何度もヘロデ・アンティパスに、その罪を指摘したのに違いない。もしかしたらヨハネを投獄するように助言したのは、ヘロデヤであった可能性が高い。なぜならこの女は、ヨハネを憎み、殺す機会をうかがっていたからである。

     しかし、なかなか果たせないでいた。なぜか。
    それは、ヘロデ・アンティパスが、ヨハネを正しい聖なる人と知っていたし、また畏れていたからである。
     と言うことは、ヘロデにも、まだ良心が残っており、そして自分の犯した罪に気づいていたということである。

     しかも、『ヘロデはヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた。』と言うから、おそらく、宮殿の地下牢に投獄していたヨハネを、時々、自分の所に呼び出し、その教えを聞いていたと思われるのだ。

     この時、もしヘロデが、バプテスマのヨハネの言葉に耳を傾けていたら、もしこの時に悔い改めていたら、エルサレムの歴史は、かなり塗り替えられたと私は思う。

     私たち、主を信じる者に、「もし」は、必要ないかも知れないが、要するにヘロデ・アンティパスにも、悔い改めるチャンスがあったということである。神は、このヘロデにも、ご自身と出会う機会を与えられた。悔い改める機会を与えられた。

     今日ここで、学ぶ大切なこととは、

     愛の神は、ヘロデにさえ与えられたように、日本人の一人一人に、何度も、悔い改める機会を、そしてご自身と出会う機会を与えられている、いや、あるいは与え続けておられる、ということである。

     今この瞬間にも、この日本の国において、その人生の最後の時を迎えている人々がいる。どんな人にも、「死」は必ずやって来る。なぜなら、聖書は、『人は一度死ぬことと、死後裁きを受けることが定まっている。』と語っているからである。

     年老いた者に取っては、「死」はかなり近い存在かも知れないが、若い人にとっては、「死」は自分とは全く関係のないものと、思い込んでいる場合がほとんどである。しかし突然、しかも全く予期しない時に、「死」が、突然訪れたら。

     どんな人にも、明日は分からない。明日生きているのか、明日も今日と同じ日なのか、その保証はどこにもない。
     しかし、主イエスを救い主として信じ、受け入れたクリスチャンは、主イエスがその命のカギを握っておられる。すでに「永遠の命」が与えられている。
     もし、主イエスを信じていない人に、突然死が訪れたとしたら、もう、その時には手遅れなのである。死んだ後の行き先が、永遠が、決まってしまうのである。

     だが、ここに「良き知らせ」がある。主イエスに出会うのに遅すぎることはない。今、まだ生きている時に、心臓が鼓動している時に、自分の罪を悔い改めて、主イエスを「救い主」として、心から信じ、口で「イエスは主である」と告白すれば、その人は救われる。永遠の命をいただけるのだ。

     その為に、今から二千年ほど前に、主イエスが、あなたや私の身代わりとして、十字架にかかり死んでくださった。そしてあなたや私が、永遠に生きる為に、三日目によみがえられたのである。このお方が救い主であられる。まことの神は、このお方以外にはおられない。》

Comments are closed.