• 日々のみ言葉 2015年10月4日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年10月4日(日)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書6章21節~28節】

    6:21 ところが、良い機会が訪れた。ヘロデがその誕生日に、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった人などを招いて、祝宴を設けたとき、
    6:22 ヘロデヤの娘がはいって来て、踊りを踊ったので、ヘロデも列席の人々も喜んだ。そこで王は、この少女に、「何でもほしい物を言いなさい。与えよう。」と言った。
    6:23 また、「おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう。」と言って、誓った。
    6:24 そこで少女は出て行って、「何を願いましょうか。」とその母親に言った。すると母親は、「バプテスマのヨハネの首。」と言った。
    6:25 そこで少女はすぐに、大急ぎで王の前に行き、こう言って頼んだ。「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます。」
    6:26 王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった。
    6:27 そこで王は、すぐに護衛兵をやって、ヨハネの首を持って来るように命令した。護衛兵は行って、牢の中でヨハネの首をはね、
    6:28 その首を盆に載せて持って来て、少女に渡した。少女は、それを母親に渡した。

    ◎ショートメッセージ

    《ヘロデヤはヨハネを恨み、彼を殺したいと思いながら、果たせないでいた。それはヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていたからである。(マルコの福音書6:19~6:20)』

     おそらく、何度もヘロデヤは、夫であるヘロデ・アンティパスに、バプテスマのヨハネを処刑してほしいと頼んだに違いない。
     もしかしたら、何とかして、牢の中にいるヨハネを殺そうとして、様々な方法を試みたのかも知れない。しかし、ヘロデ・アンティパスが、そのことを知って、ヨハネに危害が加えられないように、守らせていたとも考えられる。
     それゆえ「保護を加えていた。」と、マルコは書き記している。
     
     さて、いつも善が勝利するわけではない。

     悪女ヘロデヤに、絶好の機会が訪れたのだ。ヘロデヤには、前の夫、すなわちヘロデ・アンティパスの義理の兄ヘロデ・ピリポとの間に、サロメというひとり娘がいた。美貌の母を持つ娘である。サロメは、若さも相まって、まさしく美しい少女であったに違いない。

     普通、このような時には、いかがわしい女が、淫らな官能的な踊りを披露するのが慣習であるが、何とヘロデヤは、自分の娘に淫らな姿をさせて、踊らせたのである。
     義理の父であるヘロデ・アンティパスを始め、重臣や、千人隊長や、ガリラヤのおもだった者たちは、すっかりサロメの虜となってしまったようである。

     その時を、悪魔は待っていた。

     ヘロデ・アンティパス王は、
    「何でもほしい物を言うが良い。与えよう。おまえの望む物なら、私の国の半分でも、与えよう。」と言って、人々の前で誓ったのである。

     サロメは、母ヘロデヤに「何を願いましょうか。」と聞きに行った。ヘロデヤはここぞとばかり、「バプテスマのヨハネの首。」、とヘロデに言うように、娘に仕向けたのだ。

     サロメは言った。
    「今すぐに、バプテスマのヨハネの首を盆に載せていただきとうございます。」

     この褒美は、少女の欲するものではないことを、ヘロデは十分に分かっていたはずである。しかもサロメを踊らせたことも、すべてはヘロデヤの悪巧みであり、悪知恵であったことも、見抜いたはずである。おそらく「しまった。してやられた。」と思ったはずだ。
     この時、ヘロデは自分が誓った言葉により、窮地に追い込まれたのであった。

     いや、私は、そうではないと思うのだ。

     この時こそが、神がヘロデに与えた「救いの時」、あるいは「悔い改めの時」なのである。この時こそが、神に出会う時なのである。
     もしヘロデが、「それだけは聞けぬ。サロメ。他の物を申せ。」と言っていたとしたら、神は、このヘロデに哀れみと恵みを施されたと、私は信じたい。

     しかし事実は違う。

     ヘロデは、聖なる正しい人であったヨハネよりも、自分の体面、そうプライドを選んだのである。ヘロデに、せっかく悔い改めのチャンスを、機会を神様が与えてくださったにも関わらず、ヘロデは「滅びの道」を選んだのだ。何と愚か者なのか。

     私たちは、何を選んだのだろうか。この世の富か。地位か。成功か。名声か。一生かかっても使い切れない大金か。
     それらのものは、みな滅んで行くもの、消えてしまうものなのである。

     私たちの選んだもの。それはお金では買えないもの。私たちは、主イエスを、永遠のいのちを、真理を、救いを、信仰を選んだのだ。そして、それこそが、この世における本当の「勝利者」なのである。》

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