• 日々のみ言葉 2015年10月5日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2015年10月5日(月)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書6章29節】

    6:29 ヨハネの弟子たちは、このことを聞いたので、やって来て、遺体を引き取り、墓に納めたのであった。

    ◎ショートメッセージ

    《国主ヘロデ・アンティパスは、妻ヘロデヤの陰謀にはまり、まんまとサロメの踊りに魅せられて、バプテスマのヨハネの首をはねた。

     主イエスは、バプテスマのヨハネのことを、このように賞賛された。

    『イエスは、ヨハネについて群衆に話しだされた。「あなたがたは、何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。でなかったら、何を見に行ったのですか。柔らかい着物を着た人ですか。柔らかい着物を着た人なら王の宮殿にいます。でなかったら、なぜ行ったのですか。預言者を見るためですか。
     そのとおり。だが、わたしが言いましょう。預言者よりもすぐれた者をです。この人こそ、『見よ、わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を、あなたの前に備えさせよう。』と書かれているその人です。
     まことに、あなたがたに告げます。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネよりすぐれた人は出ませんでした。(マタイの福音書11:7~11:11 )』

     このような偉大な人物が、国主ヘロデ・アンティパスによって、露と消えてしまったのである。

     神様は、なぜこのことを許可されたのであろうか。神様の許可がない限り、悪魔は私たちには手出しすることはできないはずなのに。

     バプテスマのヨハネが誕生する前に、天使ガブリエルはこのようにザカリヤに預言した。

    『御使いは彼に言った。「こわがることはない。ザカリヤ。あなたの願いが聞かれたのです。あなたの妻エリサベツは男の子を産みます。名をヨハネとつけなさい。その子はあなたにとって喜びとなり楽しみとなり、多くの人もその誕生を喜びます。
     彼は主の御前にすぐれた者となるからです。彼は、ぶどう酒も強い酒も飲まず、まだ母の胎内にあるときから聖霊に満たされ、そしてイスラエルの多くの子らを、彼らの神である主に立ち返らせます。
     彼こそ、エリヤの霊と力で主の前ぶれをし、父たちの心を子どもたちに向けさせ、逆らう者を義人の心に立ち戻らせ、こうして、整えられた民を主のために用意するのです。」(ルカの福音書1:13~1:17 )』

     この預言の通り、バプテスマのヨハネは、母エリサベツの胎内にいる時から聖霊に満たされた存在であった。内在される聖霊によって守られている存在であった。

     と言うことは、やはり父なる神様が、許可されたことと言う他はない。父なる神様がバプテスマのヨハネの命を奪うことを、悪魔に許可したのである。

     悪魔は、バプテスマのヨハネの肉体の命を奪うことが出来たとしても、そのまことの永遠の命を奪うことを出来ないことは、言うまでもない。ヨハネの心臓が鼓動を止めた瞬間に、まことのヨハネ(霊)は、神の御元にいることとなる。

     今日、ここで考えたい事は、バプテスマのヨハネは何歳の時から「悔い改め」を説き、多くのユダヤの人々にバプテスマを授けたのであろうかということである。
     ヨハネは主イエスよりも、約6ヵ月年上である。とは言っても、主イエスが12月25日に生まれたとされているから、同じ年に生まれたことは、ほぼ間違いない。

     主イエスが公生涯を始められたのは、三十才を過ぎて間もなくであったということが、
    多くの学者の見解である。主は三年半の公生涯を過ごされた。エルサレムにおける「過越の祭り」を、4回経験したことから、それは間違いのないことである。

     だとすれば、バプテスマのヨハネの宣教期間は、同じく三年半ではないかと、いう仮説が立てられる。この世の終わりにおける「反キリスト」の君臨する期間も、預言者ダニエルによって三年半と定められているからである。

     マタイはこのように書き記している。

    『そのころ、バプテスマのヨハネが現われ、ユダヤの荒野で教えを宣べて、言った。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」
     この人は預言者イザヤによって、「荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」と言われたその人である。このヨハネは、らくだの毛の着物を着、腰には皮の帯を締め、その食べ物はいなごと野蜜であった。
     さて、エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネの所へ出て行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。(マタイの福音書3:1~3:6 )』

     私たちは何気なく読んでしまうが、ここにはとんでもないことが書かれている。

    「エルサレム、ユダヤ全土、ヨルダン川沿いの全地域の人々がヨハネの所へ出て行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けた。」

     最初は、ヨハネは一人であったはずである。やがてヨハネの働きに心引かれ、ゼベタイの子ヨハネと、ペテロの弟アンデレのように弟子になる者も現われることになる。

     ここには、実際に何名の者たちが、ヨハネからバプテスマを授かったのか、正確な数字は書かれてはいないが、相当数の大人数であることは、察しはできる。もし一人に一分かかったとしても、一時間には六十名ほどである。今のコンビニエンスストアのように、24時間営業ではないので、一日10時間、ミニストリーしたとしても、一日には六百名ほどになる。おそらく何十万の人々であったはずだとしたら、やはり数年かかることとなるのではないだろうか。それゆえ三年半とも思えるのである。

     バプテスマのヨハネが、主イエスに洗礼を授けた時に、ヨハネの働きは終わったと言える。ヨハネが、ヘロデに捕らえられた時から、主イエスの公生涯が始まることとなる。
     主イエスの道備えを終えたヨハネは、やはり父なる神様の摂理によって、天に引き上げられた、というのが真理ではないだろうか。

     もちろん、もしヘロデが、サロメへの褒美を与える場面で、神の側に立つという、違った立場を取ったとしていたら、歴史はもう少し変わっていたとも言える。》

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