◎本日の聖書箇所【ルカの福音書6章17節~19節】(新約聖書p.121上段右側)
6:17 それからイエスは彼らと共に山を下り、平らなところにお立ちになった。大勢の弟子たちの群れや、ユダヤ全土、エルサレム、ツロやシドンの海岸地方から来た、おびただしい数の人々がそこにいた。
6:18 彼らはイエスの教えを聞くため、また病気を治してもらうために来ていた。汚れた霊に悩まされていた人たちも癒やしてもらっていた。
6:19 群衆はみな何とかしてイエスにさわろうとしていた。イエスから力が出て、すべての人を癒やしていたからである。
◎メッセージ【愛と哀れみによるいやし】
《さて、主イエスは十二弟子たちと共に山を下られました。するとそこに、ユダヤ全土、エルサレム、ツロやシドンから来た、おびただしい数の人々がいたのです。
その人たちは、主イエスの評判を聞いて、教えを聞く為、また病気を癒してもらう為に集まっていたのです。また、汚れた霊から解放してもらう為に来ていたことが分かります。
それだけではありません。群衆はみな何とかして主イエスにさわろうとして、押しかけてきました。なぜなら、主イエスにさわった人々は、主イエスから神の力が出てきて、みな癒されたからです。
実は、この時点が、主イエスの働きの大きな転換点になることになります。マルコは、その福音書の始めに、主イエス・キリストのミニストリーについて、書き記しています。
それによりますと、カペナウムのシモン・ペテロの姑の熱病を癒したことから、人々は病人や悪霊につかれた人をみな、主イエスの御もとに連れて来たのです。主イエスはみな癒され、また、多くの悪霊を追い出されました。
つまり、病のいやしと悪霊からの解放が、主イエスの最初のミニストリーであったことが分かります。このミニストリーを主イエスは、この時には、まだ、一人でなされていました。
それゆえ、主イエスは十二使徒を任命する必要があり、この後、彼らを二人一組、6チームに分けて、ユダヤの各地方に遣わされることになるのです。
主イエスは病を癒し、悪霊を追い出しましたが、それは救いとは別なものです。癒やされたすべての者が主の弟子になったのではありませんし、また救われたわけではありません。
しかし、主イエスは愛と哀れみによって、癒やしの御わざを行なわれたのです。それは、心から人々を愛しておられたからであり、また癒やしは神様と主イエスの御心であったからなのです。
さて、聖書に書かれていることは、今から約二千年も前のことです。主イエスは十字架に掛かられ、三日目によみがえり昇天なされました。今の時代、癒やしの奇跡はどうなっているのでしょうか。リベラルなプロテスタント教会は、新約聖書が完結した今日では、癒やしや奇跡はすべて終わった、と主張しています。しかし、本当にそうでしょうか。
主の兄弟ヤコブは、その書簡において、次のように勧めています。
『あなたがたのうちに病気の人がいれば、教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病んでいる人を救います。主はその人を立ち上がらせて下さいます。』と。
主イエスは、ご自身の働きを弟子たちに託されました。そして、その働きは、今現在の私たちに委ねられています。私たちは病人の癒しの為に祈る権能が与えられています。》