◇◆◇日々のみ言葉
2024年9月13日(金)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙9章15節~16節】
9:15 しかし、私はこれらの権利を一つも用いませんでした。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのでもありません。私は自分の誇りをだれかに奪われるよりは、死んだほうがましだからです。
9:16 というのは、私が福音を宣べ伝えても、それは私の誇りにはなりません。そのことは、私がどうしても、しなければならないことだからです。もし福音を宣べ伝えなかったら、私はわざわいに会います。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『9:15 けれども、私はこの権利を少しも使いはしなかった。また、私は自分がそうされたくてこのように書いているのではない。私は、報酬なしに福音を宣べ伝えることの喜びを奪われるくらいなら、死んだほうがよいと思っている。
9:16 というのは、私がいくら福音を宣べ伝えたとしても、それは決して自慢できるようなことでない。もしも私が福音を宣べ伝えることをやめたら、私自身にとっても人々にとっても、それはわざわいと言うべきである。』
パウロの背中には、やはりサウロ時代に行なった、クリスチャン迫害の罪の重荷が、ずっしりと乗っていたのではないでしょうか。
エルサレム教会の多くの信者の兄弟姉妹を捕らえ、死罪に定めて来たのです。その罪者に対して、超自然的に、主イエス様がご介入され、「異邦人の使徒」として任命されたのです。まさに哀れみと恵みです。
パウロは、自分のことを「罪人の頭」だと言っています。その罪人の頭に、主は、福音を宣べ伝えることを委ねられたのです。
パウロは、まさしく喜びに満ちて、その使命に全身全霊を投入したのです。一切、教会の手を借りることなく、自分の手で働き、そしてそのお金をもつぎ込んで、異邦人の人々を導いたのです。
それこそが、彼の手によって迫害されたクリスチャンたちへの、罪滅ぼしになるに違いないと考えていたのではないでしょうか。》