◇◆◇日々のみ言葉
2024年9月14日(土)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙9章17節~18節】
9:17 もし私がこれを自発的にしているのなら、報いがありましょう。しかし、強いられたにしても、私には務めがゆだねられているのです。
9:18 では、私にどんな報いがあるのでしょう。それは、福音を宣べ伝えるときに報酬を求めないで与え、福音の働きによって持つ自分の権利を十分に用いないことなのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『9:17 私が自発的に福音を宣べ伝えるなら、主は豊かな報いを下さるだろう。しかし、実際はそうではなく、神に強いられて、この働きをしている。
9:18 このようなわけで、福音を宣べ伝えている私だからこそ、せめて報酬を期待せずに、福音を宣べ伝える喜びにあずかりたいのである。』
主イエスは、アナニヤに言われました。
『「アナニヤよ。」
「主よ。ここにおります。」
「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」
「主よ。私は多くの人々から、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。彼はここでも、あなたの御名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから授けられているのです。」
「行きなさい。あの人は私の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、私の選びの器です。彼が私の名のために、どんなに苦しまなければならないかを、私は彼に示すつもりです。」(使徒9:10~9:16抜粋)』
まさしく、パウロの言う通り、「神様に強いられて」彼は福音を宣べ伝えているのです。パウロは、自分が信じて来たこと、学んで来たこと、行なって来たことそのすべてが、主によって、ひっくり返されたのです。彼は、真理と真実を知ったのです。
それゆえ、福音を宣べ伝える喜びに満たされていたいのです。この世における報酬よりも、御国における報酬に、本当に期待しているからなのです。》