• 2024年10月6日礼拝メッセージの概要

    ◎本日の聖書箇所【ルカの福音書6章46節~49節】(新約聖書p.123上段真中)
    6:46 「なぜあなたがたは、私を『主よ、主よ』と呼びながら、私の言うことを行なわないのですか。
    6:47 私のもとに来て、私の言葉を聞き、それを行なう人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
    6:48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。
    6:49 しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。」

    ◎メッセージ【主の言葉を聞き行なう人】
    《主イエスは、公生涯の最初の頃には、「神の国について」、同じ説教を何度も語られたと考えられます。
    「なぜあなたがたは、私を『主よ、主よ』と呼びながら、私の言うことを行なわないのですか。」と主は言われましたが、「あなたがた」とは、奇跡を求めて集まって来た群衆のことです。彼らはイエスのことを、「主よ。主よ。」と呼んでいました。
    つまり、イエスを「主よ」と呼んでいるだけでは、天の御国に入れないことを、主は言われたことになります。使徒パウロは、ローマ書において、次のように教えています。
    『なぜなら、もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせたと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。』と。これが真理です。
    「私のもとに来て、私の言葉を聞き、それを行なう人がみな、どんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せても、しっかり建てられていたので、びくともしませんでした。」
    「地面を深く掘り下げ」ることとは、心の奥底に主の語られたみ言葉を留め置くことです。
    「岩の上に土台を据え」ることとは、主イエスをその人の人生の土台にすることです。そして、その上に「家を建てる」のです。まさにその人に取っては、主イエスこそ、その人の主人であり、その人は主のしもべと言うことになります。
    さて、その反面、み言葉を聞いて行なわない人については、主はこう言っています。
    「しかし、聞いても行わない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家はすぐに倒れてしまい、その壊れ方はひどいものでした。」
    「土台なし」とは、どういう意味なのでしょうか、それは、その人の心の奥底には、主イエスのみ言葉は留まっておらず、またその人に取って、主イエスは本当の意味において主ではないことを言っています。
    それでは、誰がその人の主なのでしょうか。その人自身が、その人の家、すなわちその人の人生の主であると言うことです。
    私たちは、自分の主は誰であるのかを、はっきりしなければならないのです。そして、そのことがはっきりとする時がやって来ます。それが、洪水です。川の水が押し寄せて来ます。「試練」の時こそ、その人の土台が明らかにされるのです。人が試練に出会った時こそ、その人の信仰の真偽が問われるのです。主の兄弟ヤコブは、
    『私の兄弟たち。様々な試練にあうときはいつでも、この上もない喜びと思いなさい。あなたがたが知っているとおり、信仰が試されると忍耐が生まれます。その忍耐を完全に働かせなさい。そうすれば、あなたがたは何一つ欠けたところのない、成熟した、完全な者となります。』と、勧めています。
    私たちの土台は、間違いなく主イエス・キリストです。その土台の上に、人生と言う家を建てて行くのです。私たちは、このお方だけを信じ信頼し、そしてこのお方と共に、この終わりの時代を歩んで行くのです。》

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