◇◆◇日々のみ言葉
2024年10月7日(月)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙10章19節~21節】
10:19 私は何を言おうとしているのでしょう。偶像の神にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像の神に真実な意味があるとか、言おうとしているのでしょうか。
10:20 いや、彼らのささげる物は、神にではなくて悪霊にささげられている、と言っているのです。私は、あなたがたに悪霊と交わる者になってもらいたくありません。
10:21 あなたがたが主の杯を飲んだうえ、さらに悪霊の杯を飲むことは、できないことです。主の食卓にあずかったうえ、さらに悪霊の食卓にあずかることはできないことです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『10:19ここで私が言おうとしていることは、偶像にささげた肉に、何か意味があるとか、偶像神は現実に実在しているということなのだろうか。
10:20 そうではなく、偶像にささげる物は、実は悪霊にささげるのであって、私は、あなたがたがそうすることによって、悪霊と交わってほしくないのである。
10:21 あなたがたは、聖餐式で主の杯を飲みながら、同時に悪霊の杯を飲むことはできない。また、主のパンを食べながら、悪霊のパンを食べることはできない。』
偶像に捧げられた肉というのは、一体どのようにして、人々の口に入ったのでしょうか。偶像礼拝が、明らかに行なわれている場所において、出された肉なのでしょうか。その点については、聖書は何も教えてはくれません。
ただ、この叱責の言葉が書かれた背後には、そのような罪を犯した教会員が存在していたからこそなのです。
考えられないことですが、教会において聖餐の恵みに預かりながら、集会が終わった後、偶像礼拝の行なわれている場所に赴くクリスチャンが存在した、と言うことなのです。
パウロは私たちにも警告しています。今、現在においても、偶像礼拝が盛んに行なわれている場所で、例えば、京都の有名なお寺や神社などで、食事をしたりすることを、避けるべきことは、クリスチャンとしては当然ではないでしょうか。
私たちは、もはや神社仏閣にはお参りしないのです。明日も同じ箇所からとなります。》