◇◆◇日々のみ言葉
2024年11月22日(金)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙12章10節】
12:10 ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
◎ショートメッセージ
《今日は、前回と同じ箇所からとなりますが、12章10節だけを取り上げることにします。現代訳をも掲載します。
『12:10 ある人には、奇蹟を行なう力、ある人には、預言をする力、ある人には御霊と悪霊とを見分ける力、ある人には、特別な言葉で語る力、そして別の人には、その言葉を解き明かす力を与えられた。』
引き続き、パウロによる「御霊の賜物」の種類について学んでいます。ここでパウロが言う「奇跡を行なう力」とは、どのようなことを指しているのでしょうか。
もし、私たちが主イエス様が成された奇跡を行なうとしたら、人々は、その人をまるで神のようにあがめることにならないでしょうか。その最も良い例が「使徒の働き」に掲載されています。
『ルステラでのことであるが、ある足のきかない人がすわっていた。彼は生まれながらの足なえで、歩いたことがなかった。
この人がパウロの話すことに耳を傾けていた。パウロは彼に目を留め、いやされる信仰があるのを見て、大声で、「自分の足で、まっすぐに立ちなさい。」と言った。すると彼は飛び上がって、歩き出した。
パウロのしたことを見た群衆は、声を張り上げ、ルカオニヤ語で、「神々が人間の姿をとって、私たちのところにお下りになったのだ。」と言った。そして、バルナバをゼウスと呼び、パウロがおもに話す人であったので、パウロをヘルメスと呼んだ。すると、町の門の前にあるゼウス神殿の祭司は、雄牛数頭と花飾りを門の前に携えて来て、群衆と一緒に、いけにえをささげようとした。(使徒 14:8~14:13)』と。
私は、この「奇跡」は小さなものであると考えています。そして、それは、ほとんど人の目に触れないような奇跡であるとも考えています。
もちろん、奇跡を行なうのは、その人ではなく、その人を通して働かれる聖霊様です。聖霊様が、その人の願いと祈りに応えて下さった出来事であると思うのです。》