◇◆◇日々のみ言葉
2024年11月21日(木)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙12章8節~10節】
12:8 ある人には御霊によって知恵の言葉が与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識の言葉が与えられ、
12:9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
12:10 ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載します。
『12:8 ある人には、御霊の神は、洞察し解き明かす力を与えられ、ほかの人には、同じ御霊の神が、論述する力を与えられ、
12:9 またある人には、同じ御霊の神が、特別なことを行なう信仰を与えられ、別の人には、同じ御霊の神が、いやしの賜物を与えられ、
12:10 ある人には、奇蹟を行なう力、ある人には、預言をする力、ある人には御霊と悪霊とを見分ける力、ある人には、特別な言葉で語る力、そして別の人には、その言葉を解き明かす力を与えられた。』
引き続き、パウロが教えます、「御霊の賜物」について学びます。まず「信仰」ですが、これは私たちが普段使用している意味の「信仰」ではありません。それゆえ、現代訳では、「特別なことを行なう信仰」と訳しています。
「いやし」もその中に含まれるかと思いますが、次に「いやしの賜物」が出て来ますので、明らかに、それとは違うことが分かります。それでは、具体的にどのようなことなのでしょうか。
新約時代において、もしその例を強いてあげるとするならば、パウロとシラスがむち打たれ、投獄された時に、夜中に大地震が起き、鎖や扉がすべて開いてしまったことではないでしょうか。何が起こっても、揺るがない信仰を指すのだと思うのです。
そして次に、「いやしの賜物」があげられています。ここでパウロが書き記していることは、特に、ノンクリスチャンの人たちの為であると思うのです。
なぜなら、主の兄弟ヤコブは、その書簡に、次のように書き記しているからです。
『あなたがたのうちに病気の人がいますか。その人は教会の長老たちを招き、主の御名によって、オリーブ油を塗って祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、病む人を回復させます。主はその人を立たせてくださいます。また、もしその人が罪を犯していたなら、その罪は赦されます。(ヤコブ 5:14~5:15)』と。
今も多くの「いやしのミニストリー」が行なわれています。しかし、私たちは、霊的な目を見開いて、よく注視しなければなりません。その働きが、真に聖霊によるものなのかどうか、と言うことをです。
多くの場合、いやしのミニストリーにおいては、いやし主、主イエスに目が向けられるのではなく、それを行なうミニスター、つまり人に目が向けられることになりかねないのです。明日も同じ箇所から、続きとなります。》