◇◆◇日々のみ言葉
2024年12月6日(金)
◎聖書箇所【第Ⅰコリント人への手紙12章21節~24節】
12:21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
12:22 それどころか、からだの中で比較的に弱いと見られる器官が、かえってなくてはならないものなのです。
12:23 また、私たちは、からだの中で比較的に尊くないとみなす器官を、ことさらに尊びます。こうして、私たちの見ばえのしない器官は、ことさらに良いかっこうになりますが、
12:24 かっこうの良い器官にはその必要がありません。しかし神は、劣ったところをことさらに尊んで、からだをこのように調和させてくださったのです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載します。
『12:21 そういうわけで、目が手に向かって、「お前などいらない」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「お前などいらない」と言うこともできない。
12:22 それどころか、体の中で余り有用だと思われない所が、実は非常に大切である。
12:23 また、体の中で人目にさらしたくない部分は、物で覆い、大切にするが、
12:24 見られてもよい顔のような所は何も掛けない。そして、神は物で覆う所に重要な機能を与えて、体全体にバランスを与えられた。』
パウロは、たとえを用いて教えています。
実際に、『目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」』と、言うようなことはありえないことです。
つまり、教会には、目となる人、手となる人、頭となる人、足となる人がいるということなのです。私たちは、唯一無二の存在です。
世界には、大谷翔平と言う野球選手がたった一人しか存在しないように、私たち一人一人も、唯一無二の存在なのです。
特に、三位一体の神様に取っては、すべての人が愛すべき存在ですが、その中においても、御子なる主イエス・キリストを信じ受け入れた者たちを、神の子どもとして下さり、特別に愛して下さるのです。何と言う恵みなのでしょうか。
私たちは、もう誰とも比べる必要はないのです。隣の庭を見る必要はないのです。》