※本日の聖書箇所 ルカの福音書8章26節~30節(新約p.128下段右側)
8:26 こうして彼らは、舟で、ガリラヤの反対側にあるゲラサ人の地に着いた。
8:27 イエスが陸に上がられると、その町の者で、悪霊につかれている男がイエスを迎えた。彼は長い間、服を身に着けず、家に住まないで墓場に住んでいた。
8:28 彼はイエスを見ると叫び声をあげ、御前にひれ伏して大声で言った。「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。お願いです。私を苦しめないでください。」
8:29 それは、イエスが汚れた霊に、この人から出て行くように命じられたからであった。汚れた霊はこの人を何回も捕らえていた。それで彼は鎖と足かせでつながれて監視されていたが、それらを断ち切っては、悪霊によって荒野に駆り立てられていた。
8:30 イエスが「おまえの名は何か」とお尋ねになると、彼は「レギオンです」と答えた。悪霊が大勢彼に入っていたからである。
◎メッセージ【ゲラサ人の地において】
《さて、向こう岸とは、ゲラサ人の地で、この読み方には、三つの異なった読み方が存在します。ガダラ人、そしてゲルゲサ人です。読み方は違っていても、同じ人々を指しています。また、ゲラサとは、デカポリス(10の町という意味)の一つであったと、伝えられています。
主イエスはすでに、ゲラサの町における大きな問題を知っておられました。それが、レギオンに取り憑かれた男の問題だったのです。彼には家族がありました。私は、この家族の切なる祈りと願いが、主に届いたと考えています。
さて、主が岸辺に上がられると、はだかの男が御前にひれ伏したのです。
「いと高き神の子イエスよ、私とあなたに何の関係があるのですか。お願いです。私を苦しめないでください。」
おそらく、主イエスは、陸に上がられた時に、「レギオン」に向かって、「ここから出て行け」と言われたことが考えられます。
さて、悪霊に取り憑かれることと悪霊の支配下にあることとは、若干、状況と意味が異なります。救われる以前の私たちは、確かに悪霊の支配下にありました。パウロは、
『あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。』と言っています。
そして、悪霊に取り憑かれることとは、さらに一歩も二歩も進んだ状態で、その人の肉体だけでなく、魂と霊までもが、完全に支配されることを意味しています。よって悪霊は、その人の唇を用いて語ることが出来ます。はだかの男ではなく、中にいる悪霊が語ったのです。
私たちクリスチャンの戦う相手は、悪魔と悪霊なのです。尾山先生は何度も、「私たちは戦場に駆り出されています。しかも後方ではなく最前線に配置されているのです。まさしく、生きるか死ぬかの戦いの真っ只中にいます。
悪魔と悪霊は、私たちを何とか弱らせようと、また、祈らせないように、聖書を読ませないようにと攻撃して来ます。彼らの目的は、主が言われたように、「盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするためにほかなりません」と、言われたのです。
そして、武具と武器を持つことを勧めています。エペソ書によりますと、「信仰の盾」、「救いのかぶと」、「御霊の剣(神の言葉)」、そして「あらゆる祈りと願い」を持つことです。
主イエスは、彼に尋ねます。
「おまえの名は何か。」
「レギオンです。」
「レギオン」とは、ローマ軍の一師団(六千人)にあたります。それほど多くの悪霊が、この人に取り憑いていたことには驚きです。この人がどんな罪を犯して来たのかは、聖書には書かれてはいませんが、この人がこうなるには、大きな原因があったことは間違いないのです。
しかし、主イエスは、来られたのです。彼の家族の祈りに応える為に、そして彼と彼の家族の救いの為に、来られました。次週は、続きで、救われる場面からの学びとなります。》