◇◆◇日々のみ言葉
2015年10月27日(火)
◎聖書箇所 【マルコの福音書7章9節~12節】
7:9 また言われた。「あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです。
7:10 モーセは、『あなたの父と母を敬え。』また『父や母をののしる者は、死刑に処せられる。』と言っています。
7:11 それなのに、あなたがたは、もし人が父や母に向かって、私からあなたのために上げられる物は、コルバン(すなわち、ささげ物)になりました、と言えば、
7:12 その人には、父や母のために、もはや何もさせないようにしています。」
◎ショートメッセージ
《『主イエスは、引き続き、パリサイ人と律法学者に言われた。
ここでは、具体的な例をあげられたのである。「モーセが言っている」とは、どういうことか。これは「モーセ五書」が、父なる神が御使いを通して、モーセに書き留めるようにと、与えた言葉であるからである。
十戒の第六戒は、「あなたの父と母を敬え。」である。十戒は、第一戒から第四戒までは、神との関係においてであるが、第六戒からは、対人間関係における戒めである。その筆頭に置かれたのが、この「あなたの父と母を敬え、」である。レビ記には、この後、続きがある。
「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が命じられたとおりに。それは、あなたの齢が長くなるため、また、あなたの神、主が与えようとしておられる地で、しあわせになるためである。」
この神の約束は、今でも当てはまると、私は信じる者である。
また同じくレビ記20章には、主イエスが引用された言葉が記されている。
「だれでも自分の父あるいは母をのろう者は、必ず殺されなければならない。彼は自分の父あるいは母をのろった。その血の責任は彼にある。」
さて、次に主イエスが言われたことはどういうことか。
これは、親を扶養するためのお金を、神への捧げ物として、神に誓ってしまえば、親を扶養しなくても良いと言うことである。すなわち、神への誓いを、親を扶養する義務よりも優先させえても良いと教えたいたのである。
何となく、これは一見筋が通っているように見えるが、実はそうではなく、彼らは親を扶養したくないために、神に捧げてしまうと誓っていたのであり、またある者は、神に捧げると言っておきながら、自分の為に使っていたのである。
パリサイ人や律法学者は、聖書に書かれている律法に従うことよりも、自分たちで細かな規則を作り出して、いかに律法を守らないで、律法を守っているかのように見せかける道を編み出していたのだ。彼らは、聖書の言葉を守ろうとする意思などはなかったのである。
それゆえ主イエスは、彼らを「偽善者たち」と、呼ばれたのである。
父なる神が律法を与えられた主旨は、モーセに語られた通りである。
『主はあなたがたが私に話していたとき、あなたがたのことばの声を聞かれて、主は私に仰せられた。
「わたしはこの民があなたに話していることばの声を聞いた。彼らの言ったことは、みな、もっともである。どうか、彼らの心がこのようであって、いつまでも、わたしを恐れ、わたしのすべての命令を守るように。そうして、彼らも、その子孫も、永久にしあわせになるように。さあ、彼らに、『あなたがたは、自分の天幕に帰りなさい。』と言え。しかし、あなたは、わたしとともにここにとどまれ。わたしは、あなたが彼らに教えるすべての命令――おきてと定め――を、あなたに告げよう。彼らは、わたしが与えて所有させようとしているその地で、それを行なうのだ。」あなたがたは、あなたがたの神、主が命じられたとおりに守り行ないなさい。右にも左にもそれてはならない。
あなたがたの神、主が命じられたすべての道を歩まなければならない。あなたがたが生き、しあわせになり、あなたがたが所有する地で、長く生きるためである。(申命記5:28~5:33)』
本来、律法は、私たち人間が、聞き従うことによって、幸せになるために与えられたものである。
今でも同じである。み言葉に、主イエスの語られた言葉に、聞き従うことこそが、私たちの最も幸せになる近道であると言える。》