◇◆◇日々のみ言葉
2025年5月8日(木)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙5章10節】
5:10 なぜなら、私たちはみな、キリストのさばきの座に現われて、善であれ悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて報いを受けることになるからです。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『5:10というのは、私たちクリスチャンは、だれでもやがてキリストの裁きの座の前に立って、地上生活の間、思いと言葉と行ないにおいて何をしたか、正確に評価され、それぞれ報いを受けなければならないのである。』
パウロは、ここで、大変な奥義を私たちに教えています。「私たちはみな」、あるいは、「私たちクリスチャンは」みな、キリストの裁きの座の前に立って、「さばき」、あるいは「報い」を受けなければならないと言うのです。
ここで、私は不思議に思うことがあります。主イエス様は、救い主であられ、私たちの罪の身代わりとなって、死なれ、すべての裁きを受けて下さったと、聖書は教えています。
それにも関わらず、キリストのさばきの座の前に立って、さばきを受けることになると言われるのです。
しかも、その内容は、「善であれ、悪であれ、各自その肉体にあってした行為に応じて」であり、また、「地上生活の間、思いと言葉と行ないにおいて何をしたか」であると言われるのです。
ここから、「最後の白い御座のさばき」は、この世に生まれ出たすべての人が、立つことになることが考えられます。しかし、「行ないの書」の他に、神の子羊の「いのちの書」が開かれ、そこに名前が書き記された者は、無罪となって釈放されることが考えられるのです。
まさに、バラバと同じように、ただ、神様の恵みによって赦されるということです。》