• 2025年7月20日礼拝メッセージの概要

    ※本日の聖書箇所「ルカの福音書9章51節~56節」(新約p.133下段真中)
    9:51 さて、天に上げられる日が近づいて来たころ、イエスは、エルサレムに行こうとして御顔をまっすぐ向けられ、
    9:52 ご自分の前に使いを出された。彼らは行って、サマリヤ人の町にはいり、イエスのために準備した。
    9:53 しかし、イエスは御顔をエルサレムに向けて進んでおられたので、サマリヤ人はイエスを受け入れなかった。
    9:54 弟子のヤコブとヨハネが、これを見て言った。「主よ。私たちが天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
    9:55 しかし、イエスは振り向いて、彼らを戒められた。
    9:56 そして一行は別の村に行った。

    ◎メッセージ【サマリアの別の村へ】
    《「さて、天に上げられる日が近づいて来た頃」とは、エルサレムのゴルゴタの丘での十字架刑を指しています。ところで、ガリラヤからエルサレムに行くには、主に二つのルートがありました。一つは、ヨルダン川に沿って行く正規のルートです。もう一つは、サマリヤ経由で、サマリアの町を通って行くルートです。
    しかもガリラヤからサマリア経由の道は、一番距離が短く、三日でエルサレムに辿り着くことが出来ました。しかし、ユダヤ人は、サマリア人を忌み嫌っていたのです。
    この時、主イエスは、「御顔をまっすぐ向けられ」たとあります。これは、主の堅い決意を表わしています。しかも、今回は、あえてサマリア経由の道を選ばれたのです。
    ところで、主イエスがサマリア経由の道を通られたことは、実はこれが初めてではなく、公生涯初期において、一回はあったことを、ヨハネは書き記しています。
    しかもそれは、ガリラヤからエルサレムではなく、エルサレムからガリラヤへの道程で、逆コースでした。その時、ヤコブの井戸に水を汲みに来た一人の罪深い女性の改心によって、サマリアの町に大リバイバルがもたらせられたのです。
    サマリアの町の人々は、主イエス一行に、さらに二日間にわたり滞在することを願い出ました。その知らせは、サマリアの町々や村々に、瞬く間に知れ渡ったのです。今回は、その時から、約三年ほどの月日が経っていたと思われます。
    しかし、主イエスが宿泊しようとしたサマリアの町は、主イエスを拒否したのです。よって、主イエス一行は、別のサマリアの村に行き宿泊されました。聖書には書かれてはいませんが、その村は、主の訪れによって、大いなる恵みがもたらされたことは疑いのないことです。多くの病がいやされ、悪霊から解放されたに違いありません。
    このことは、ユダヤ人が主イエスを拒否し、福音は彼らから取り去られ、異邦人に宣べ伝えられることの予表とも言えます。
    主イエスがサマリアの町を後にした時に、弟子のヤコブとヨハネが、言いました。
    「主よ。私たちがエリヤのように天から火を呼び下して、彼らを焼き滅ぼしましょうか。」
    これは、ユダヤ人ならば誰もが知っている、第Ⅱ列王記に書かれた「預言者エリヤ」の奇跡のことを表わしています。ゼベダイの子ヤコブとヨハネは、本気でそう言ったのです。それゆえ、主イエスは、彼らを戒められたのです。
    この時の彼らの性格は、まさしく主イエスが、ボアネルゲ(雷の子)とあだ名を付けられたように、非常に怒りやすい者たちであったことが分かります。
    しかし、やがて彼らは、主の十字架と復活を通して、全く性格が変えられることになります。主イエスは、私たちの性格さえも、変えてしまわれます。主に似た者となるように、変えて下さるのです。》

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