◇◆◇日々のみ言葉
2025年10月10日(金)
◎聖書箇所【ピリピ人への手紙2章21節】
2:21 だれもみな自分自身のことを求めるだけで、キリスト・イエスのことを求めてはいません。
◎ショートメッセージ
《現代訳を掲載いたします。
『2:21 だれでも皆、自分自身のことには一生懸命だが、キリスト・イエスのことには一生懸命にはならない。』
新改訳の訳は、何か今一つな感じがしないでもありません。なぜなら、この言葉は、当時のピリピ教会の教会員のことを指すのか、あるいは、一般的なことを指すのかがわかりにくいのです。
もし、教会員のことを指すとしたら、「喜びの教会」と言われたピリピ教会にはあてはまらない感じがします。
それゆえ、現代訳では、「一生懸命」という言葉に置き換えて訳されていると思います。確かに、私たちは自分自身のことには一生懸命です。
しかし、主イエス様の為には、それほど一生懸命ではないかも知れません。もちろん、パウロのレベルと比較するならば、パウロの言うことは、十分納得出来るものなのです。
私たちには。この世における「生活」があります。しかし、主は、山上の垂訓において、弟子たちに、このように教えられています。
『「そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。だから明日のための心配は無用です。明日のことは明日が心配します。労苦はその日その日に十分あります。」(マタイ6:31~6:34)』と。
このみ言葉をしっかりと心に刻んで、伝道を行なったのが、私の師である尾山令仁先生です。先生は、このみ言葉が真実であったことを何度も証しされました。》