• 2025年10月12日礼拝メッセージの概要

    ※本日の聖書箇所「ルカの福音書11章11節~13節」(新約p.137下段左側)
    11:11「あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。
    11:12 卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。
    11:13 ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えて下さいます。」

    ◎メッセージ【求める者たちその②】
    《主イエスは言われました。「求めなさい。そうすれば与えられます。」
    そして、この教えの後に、主イエスは、一つのたとえを話されたのです。
    「あなたがたの中で、子どもが魚を求めているのに、魚の代わりに蛇を与えるような父親がいるでしょうか。卵を求めているのに、サソリを与えるような父親がいるでしょうか。」
    当時、十二使徒の中では、シモン・ペテロは結婚しており、子どもがいたことが聖書から分かります。しかもペテロは漁師でしたから、主イエスのたとえの意味を一番理解出来たのかも知れません。
    「魚」も「卵」も食べ物です。それを求めている子供たちに、「蛇」や「さそり」など、害をもたらす物をあげる父親が、どこにいると言うのでしょう。
    「ですから、あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもたちには良いものを与えることを知っています。」ということです。
    ここで言われている「悪い者」とは、犯罪人を指すのではなく、主イエスを信じていない未信者たちのことを指しています。
    さて、マタイの福音書の「山上の垂訓」の中に、この記事は、平行記事として掲載されています。しかし若干違いがあるのです。このことから、全く別な場所と時刻において、主イエスが教えられたことは間違いないようです。まず、主がたとえている物が違っています。
    「魚」と「蛇」は同じですが、「卵」が「パン」、「サソリ」が「石」になっています。そして決定的な違いが、7章11節の後半です。
    ルカでは、
    「それならなおのこと、天の父はご自分に求める者たちに聖霊を与えて下さいます。」となっています。これは、ペンテコステ(聖霊降臨)を預言しています。
    マタイでは、
    「それならなおのこと、天におられるあなたがたの父は、ご自分に求める者たちに、良いものを与えて下さらないことがあるでしょうか。」と、なっています。
    この主イエスの言葉は、私たちの父なる神様は、常に良い物を与えて下さるお方であると言うことを教えています。それも、その人に取って、最高の物を与えて下さるのです。
    神様は良いお方です。そして、いつも私たちを驚かすのです。なぜなら、神様は、私たちが心から驚き、喜び、そして感謝することによって、栄光をお受けになられるからです。》

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