◇◆◇日々のみ言葉
2025年10月13日(月)
◎聖書箇所【ピリピ人への手紙2章26節~27節】
2:26 彼は、あなたがたすべてを慕い求めており、また、自分の病気のことがあなたがたに伝わったことを気にしているからです。
2:27 本当に、彼は死ぬほどの病気にかかりましたが、神は彼をあわれんで下さいました。彼ばかりでなく私をもあわれんで、私にとって悲しみに悲しみが重なることのないようにして下さいました。
◎ショートメッセージ
《現代訳をも掲載いたします。
『2:26 というのは、彼はあなたがた一同を慕い求めており、また、自分が病気になったことがあなたがたに聞こえたので、心苦しく思っているからである。
2:27 本当に彼は死ぬほどの病気にかかったのにが、神は彼をあわれんで、治して下さった。彼だけでなく、私をもあわれんで下さったので、悲しみに悲しみを重ねないで済んだ。』
「彼は、あなたがたすべてを慕い求めて」とはどのようなことなのでしょうか。それは、彼自身の母教会でもある「ピリピ教会」の人々を、心から愛し、慕っていると言うことです。信仰生活には、教会に集うこと、教会に籍を置くことは必要です。なぜなら、「エクレシア」と言う言葉には、特別な意味があるからです。
このギリシヤ原語は「召集する」という意味の原語から派生しています。また、新約聖書の中には、固有の地名を冠して用いられている場合が23回出てきますが、この場合には、「神の教会」と呼ばれることになります。
そして、70人訳において、ヘブル語原語である「カーハール」の訳語として、ギリシャ語「エクレーシア」が用いられたことは、神の臨在する所に召集された民、神との会見のために集められた集団を指すと言われています。
プロテスタントには、無教会主義の信仰を持つクリスチャンが存在しますが、彼らとて、ただ既存教会に所属していないだけで、家の教会に属していることになるのです。
大切なことは、私たちは集まることを止めてはいけないと言うことです。また、教会に集うことも止めてはならないと言うことなのです。
教会から離れる人は、やがて信仰からも離れて行きます。それだからこそ、主イエス様は、「私に留まりなさい」と言われるのです。「留まる」と言うことは、教会に留まることなのです。明日も同じ箇所からとなります。》