◇◆◇日々のみ言葉
2016年4月23日(土)
◎聖書箇所 【マルコの福音書13章34節~36節】
13:34「それはちょうど、旅に立つ人が、出がけに、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように言いつけるようなものです。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、ご自身が再臨されるその時について、親しい弟子たちに「たとえ」を用いて話されました。
主は、ご自身を「旅立つ人」にたとえられました。
私たちは旅をします。旅とは、今住んでいる場所から離れて別の知らない場所に行くことです。知っている場所、例えば実家に戻るような場合には、実家に旅するとは言わず、帰省すると言います。つまり旅に出ると言うことは、まだ知らない所に行くことなのです。
もう一つ大切なことがあります。家を離れて旅に出た人は、また自分の家に戻って来るということです。帰って来ると言うことです。
主イエス様は、ご自分を「旅立つ人」と言われました。これは旅に出たまま行方不明になることではなく、必ず帰って来ること、戻って来ることを意味しているのです。
しかも、しもべたちにはそれぞれ仕事を割り当てて責任を持たせ、門番には目をさましているように、言いつけてです。
「しもべ」たちとは、私たちクリスチャン一人一人を指していることは、言うまでもありません。
それぞれに仕事が割り当てられています。私たちは一人一人違います。違う人格を持っており、そして違う能力と賜物が与えられています。そればかりではありません。
その責任も持たされています。
と言うことは、主人が戻って来られた時、与えられた仕事の責任を果たしたかどうかが、問われると言うことです。
ここで門番が登場します。門番とは誰のことを指すのでしょうか。門番は何を持っていますか。そうです。門のかぎが渡されているのです。
主イエス様は、シモンにこう言われました。
『では私もあなたに言います。あなたはペテロです。私はこの岩の上に私の教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。私は、あなたに天の御国のかぎを上げます。何でもあなたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたが地上で解くなら、それは天においても解かれています。」(マタイの福音書16:18~16:19)』
「門番」こそ「教会」です。この教会に、永遠の御国へのかぎが渡されているのです。
そして、「教会」とは、救われた私たち自身を指します。
もし「教会」が眠っていたとしたら、どうなのでしょうか。》