◇◆◇日々のみ言葉
2016年4月22日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書13章33節】
13:33 「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。その定めの時がいつだか、あなたがたは知らないからです。」
◎ショートメッセージ
《ここで、再び主イエス様は、弟子たちに注意を促しています。
「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。」
実は、この注意、いや訓戒とも言うべきことを、これからイエス様は何度も彼らに話されます。また、「たとえ」を用いて教えようとされるのです。
「定めの時」とは、主イエス様の再臨の時を指し示します。
何度も学んでいますが、イエス様の再臨は、二回あります。
その一回目こそが、私たちクリスチャンが最も待ち望んでいることです。
パウロによりますと、
『私たちはイエスが死んで復活されたことを信じています。それならば、神はまたそのように、イエスにあって眠った人々をイエスと一緒に連れて来られるはずです。
私たちは主のみ言葉のとおりに言いますが、主が再び来られるときまで生き残っている私たちが、死んでいる人々に優先するようなことは決してありません。
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らと一緒に雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。(第Ⅰテサロニケの手紙4:14~4:17)』と、書かれています。
これこそが主イエス様の「空中再臨」と言われていることなのです。または「教会の携挙」とも言われています。
その「定めの時」が、何時なのか、弟子たちも、今生かされている私たちも知らないから、「気をつけなさい。目をさまし、注意していなさい。」とイエス様は言われるのです。
それでは、具体的には、どのようなことをしたら良いのでしょうか。それは、何時イエス様が来られたとしても良いように、心と精神を「神様」の方向に向け、準備していることです。
しかしそれと同時に、普段の生活を普段と同じようにおくり、毎日過ごすことも大切です。
主の証し人として、地の塩として、この世の光として輝き続けることが大切です。
決して怠惰な生活をおくってはなりません。私たち、主イエス様を信じる者、十字架によって、この世から救い出され永遠の御国への切符を手にした者は、勤勉でなければならないのです。その力は、日々、聖霊様との交わり(デボーション)において、上から豊かに与えられます。
もし、私やあなたが「疲れ」ているのなら、あるいは「疲れ」を覚えているのなら、神様のことをないがしろにしてはいませんか。聖書を読み、祈ることを忘れてはいませんか。我力では、疲れるのは当たり前なのです。》