◇◆◇日々のみ言葉
2016年4月29日(金)
◎聖書箇所 【マルコの福音書14章3節】
14:3 イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられたとき、食卓についておられると、ひとりの女が、純粋で、非常に高価なナルド油のはいった石膏のつぼを持って来て、そのつぼを割り、イエスの頭に注いだ。
◎ショートメッセージ
《この記事は、マタイにも平行記事として書き記されています。
『さて、イエスがベタニヤで、らい病人シモンの家におられると、ひとりの女がたいへん高価な香油のはいった石膏のつぼを持ってみもとに来て、食卓に着いておられたイエスの頭に香油を注いだ。(マタイの福音書26:6~26:7)』
マタイは、マルコの福音書を基にして書いていますので、ほぼ同じ内容です。
しかし、三つの共観福音書を知っていた使徒ヨハネの福音書によれば、
『イエスは過越の祭りの六日前にベタニヤに来られた。そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。人々はイエスのために、そこに晩餐を用意した。そしてマルタは給仕していた。ラザロは、イエスとともに食卓に着いている人々の中に混じっていた。マリヤは、非常に高価な、純粋なナルドの香油三百グラムを取って、イエスの足に塗り、彼女の髪の毛でイエスの足をぬぐった。家は香油のかおりでいっぱいになった。(ヨハネの福音書12:1~12:3 )』と、書かれています。
このことから、マルコとマタイが福音書に書き記した、「らい病人シモンの家」とは、マルタとマリヤとラザロの家であり、シモンは彼らの父親であったことが分かります。
今では、「らい病人」とは言わず、「重い皮膚病を患った人」と言う言い方をしますが、新改訳聖書第二版は、それ以前の訳を用いていますので、そのまま掲載しています。
ユダヤ人の社会では、「らい病人」は、モーセの律法によって家族とは、離れて暮らさなければなりませんでした。
しかしマルタとマリヤとラザロの父親であったシモンは、主イエス様によって、奇蹟的に完全にいやされ、再びユダヤ社会に復帰していたと考えられます。
それでは、このシモンは何時イエス様にお会いし、いやされたのでしょうか。マルコは、そのことについては何も書いてはいません。
マタイ・マルコ・ルカの三つの共観福音書には、イエス様の公生涯初期の段階において「あるらい病人の癒し」が書き記されています。
マタイの福音書によると、
『イエスが山から降りて来られると、多くの群衆がイエスに従った。すると、ひとりのらい病人がみもとに来て、ひれ伏して言った。「主よ。お心一つで、私をきよめることがおできになります。」イエスは手を伸ばして、彼にさわり、「私の心だ。きよくなれ。」と言われた。すると、すぐに彼のらい病はきよめられた。イエスは彼に言われた。「気をつけて、誰にも話さないようにしなさい。ただ、人々へのあかしのために、行って、自分を祭司に見せなさい。そして、モーセの命じた供え物をささげなさい。」(マタイの福音書8:1~8:4)』と、書かれています。
マルコの福音書では、1章40節~44節、ルカの福音書では、5章12節~14節です。
いやされた「らい病人」は男性(彼・ギリシャ語では男性名詞と女性名詞は、はっきりと区別することが出来る)であり、しかもこの男性は、信仰を持っていたことが分かります。なぜなら最初に、「主よ。」と、メシヤ告白をしているからです。とすれば、イエス様とは、すでに顔見知りであったとも考えられるのです。
今日の箇所については、明日も続きを学びたいと思います。》