• 日々のみ言葉 2016年6月30日(木)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年6月30日(木)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書15章11節】
    15:11 しかし、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせた。

    ◎ショートメッセージ
    《ユダヤ三大祭りにおいて、最も聖なる祭りは、「過越の祭」でありました。この時には、世界中に散っていたユダヤ人たちが、年一回の巡礼の為にエルサレムに集まって来て、普段はそれほど人影が多くないエルサレムであっても、この時ばかりは、数十万人の人々が集まりました。
     もし暴動が起きるとしたら、この「過越の祭」の時が最も可能性が高かったようです。それゆえ、この時には、ガリラヤ国主ヘロデ・アンティパスもエルサレムに在住し、またローマ帝国から派遣された総督ポンテオ・ピラトは、全部隊を集めていたのです。
     普段は千人隊長と一部隊がエルサレムに駐屯していましたが、その兵士の数だけでは押さえきれる保証などは全くなく、それだからこそ、各地方にいた部隊を結集して警備にあたっていたようです。まさに「伊勢島サミット」のごとくです。

     伝承では、この最後の裁判の時には、「アントニア要塞」に数万人のユダヤ人が押しかけたとされています。こんなに人が多く集まったことは、かつて無かったと言われるほどです。

     群衆とは恐ろしいものです。つい一週間前に、イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに凱旋され入場された時には、「ホザナ・ホザナ」と、誉め称えて歓迎したにもかかわらず、今度は、祭司長たちにまんまと踊らされて、イエス様を「十字架につけろ」「バラバを釈放せよ」と、シュプレヒコールを上げるのですから。

     なぜなのでしょうか。つい数日前までは、イエス様のなされた奇蹟やしるしを見て、このお方こそが救い主であることを告白し、熱狂していた人々が、まるで手の平を返したように、全く正反対な態度に変わってしまったのですから。彼らは気がふれてしまったのでしょうか。

     いいえ。違うのです。その背後には、悪魔と悪霊たちが関与しているのです。悪魔と悪霊たちが、主イエス様が何者であるのか知っていたからこそ、何としてもイエス様を殺そうとして、死に物狂いになっていたのです。それゆえ祭司長たちを利用し、群衆を扇動したのです。

     ピラトは恐怖を感じていたようです。それほど群衆の熱狂は、頂点に達しようとていたからです。もはや精鋭の全部隊であっても押さえきれないほどの人々が集まり、まさに一触即発の暴動が起きる寸前にまで、追い込まれてしまったのです。

     人殺しであり極悪犯罪人のバラバか、それともローマ法では無実に値する「ユダヤ人の王」イエス様か、どちらを「過越の祭」の恩赦として釈放するのか、その決断をピラトは余儀なくされていたのです。

     しかしおかしな話です。有罪の者と無罪の者のどちらかを釈放するとするならば、無罪の者を釈放することが、正義であり、理にかなっていることは間違いありません。
     それにもかかわらず、己が自ら無罪と下した判断よりも、群衆の人気取りの為に、また暴動になることを恐れて、ピラトは反逆者バラバを釈放し、イエス様を十字架につけるのですから。この時、ピラトは裁判を、またローマ総督としての権威を、放棄してしまったと言えるでしょう。》

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