• 日々のみ言葉 2016年7月2日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年7月2日(土)

    ◎聖書箇所 【マルコの福音書15章14節】
    15:14 だが、ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と言った。しかし、彼らはますます激しく「十字架につけろ。」と叫んだ。

    ◎ショートメッセージ
    《引き続き、ポンテオ・ピラトによる第二回目の法廷裁判の場面から考えて見たいと思います。
     ローマ総督ピラトは、「過越の祭」には、ユダヤの人々の願う囚人をひとりだけ赦免することを常としていました。これは、彼が統治にてこずっているユダヤ人たちの人気取りであったことは、言うまでもないことです。
     その時、たまたま、バラバという者が、暴動のとき人殺しをした暴徒たちと一緒に牢に入っていました。
     ピラトは、祭りが終わった後に、ローマ帝国に反逆し暴動を起こした首謀者バラバと、その側近の部下二人を十字架につけて、見せしめに処刑するつもりだったようです。

     ユダヤ人の群衆はアントニオ要塞の前の広場に集まって来て、いつものように彼らの願う囚人をひとりだけ赦免してもらうことを、ピラトに要求し始めました。
     そこでピラトは、彼らに答えて、「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか。」と言ったのですが、祭司長たちは群衆を扇動して、むしろバラバを釈放してもらいたいと言わせたのです。
     そこで、ピラトはもう一度答えて、「ではいったい、あなたがたがユダヤ人の王と呼んでいるあの人を、私にどうせよというのか。」と言うと、彼らはまたもや、「十字架につけろ。」と叫んだのです。
     この時、今までには考えられないほどの人々がエルサレムに集まりつつありました。

     ピラトは彼らに、「あの人がどんな悪いことをしたというのか。」と言うと、集まって来た群衆はますます激しく叫んだのです。

     「十字架につけろ」
     「十字架につけろ」

     「十字架」とは、ローマ軍が考え出した最も残酷な刑です。処刑される罪人に与える苦痛は、想像を絶すると言われています。ふつう罪人は、何日も十字架の上で生き続け、最後はすべての関節が外れ、窒息して死んで行きます。
     その頃のエルサレムでは、少しでも罪人の苦痛を減らそうとする哀れみから、死刑執行人が足のすねを棍棒で折って、体重を支えられなくし、すぐに息絶えるよう、手を借すのです。

     なぜイエス様は、十字架にかけられる必要があったのでしょうか。

     教会のシンボルは何ですか。私たち主を信ずる者、クリスチャンのシンボルは何ですか。そうです。それは「十字架」なのです。「十字架」とは、「死」のシンボルです。
     私たちは、その「十字架」をかかげ、見上げる者なのです。

     「十字架につけろ」

     主イエス様は、群衆の願いによってではなく、自らの意思で、「十字架」にかかられました。そして死んでくださいました。私たちの身代わりとして。
     しかし、それで終わったのではありません。それから三日目に、イエス様はよみがえられるのです。復活されるのです。
     もし、十字架の死がなかったとしたら、もちろん栄光の復活もないことになります。》

Comments are closed.