• 日々のみ言葉 2016年9月25日(日)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年9月25日(日)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書1章68節~79節】
    1:68 「ほめたたえよ。イスラエルの神である主を。主はその民を顧みて、贖いをなし、
    1:69 救いの角を、われらのために、しもべダビデの家に立てられた。
    1:70 古くから、その聖なる預言者たちの口を通して、主が話してくださったとおりに。
    1:71 この救いはわれらの敵からの、すべてわれらを憎む者の手からの救いである。
    1:72 主はわれらの父祖たちにあわれみを施し、その聖なる契約を、
    1:73 われらの父アブラハムに誓われた誓いを覚えて、
    1:74 われらを敵の手から救い出し、
    1:75 われらの生涯のすべての日に、きよく、正しく、恐れなく、主の御前に仕えることを許される。
    1:76 幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、
    1:77 神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。
    1:78 これはわれらの神の深いあわれみによる。そのあわれみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、
    1:79 暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」

    ◎ショートメッセージ
    《昨日に続き、ザカリヤにおける賛歌「ベネディクトゥス」について学んで行きます。
     今日は後半の部分であり、我が子ヨハネについての預言です。

     聖霊様によらなければ、このような預言を語ることは出来るはずはありません。
     ところで、「預言」ですが、パウロ書簡の第Ⅰコリント人への手紙に書かれてあるように、まさしくそれは聖霊様の賜物なのです。
     もしザカリヤが、自分の力で、あるいは自分の思いや願望だけで預言したとしたら、それは神様からの言葉ではなく、単なる人間の言葉であり、にせ預言となってしまいます。
     本物の預言は、聖霊様に満たされた人だけが語ることが出来るのです。

    「幼子よ。あなたもまた、いと高き方の預言者と呼ばれよう。主の御前に先立って行き、その道を備え、神の民に、罪の赦しによる救いの知識を与えるためである。」

     これこそが、やがてヨハネが授ける「悔い改めのバプテスマ」を表わしています。

    「これはわれらの神の深いあわれみによる。その哀れみにより、日の出がいと高き所からわれらを訪れ、暗黒と死の陰にすわる者たちを照らし、われらの足を平和の道に導く。」

     そして、「日の出」と表現された「救い主」が、天から降って来られることを表わしています。
     主イエス様こそ、「世の光」であられます。その光は、かつて「暗黒と死の陰にすわる者たち」であった私たちを照らして下さるのです。私たちは、その光を見い出しました。
     いいえ、主イエス様の方から、光を照らして下さったのです。迷える私たちを探し、見つけて下さったのです。

     そして、「われらの足を平和の道に導」いて下さいますとは、『永遠のいのち』のことを指し示しています。この「救い」こそが、天におられる父なる神様の、人類への最大のプレゼントなのです。

     救い主の前に、先立つ者であるヨハネは生まれました。やがて人類が最も祝う日となる、クリスマスが訪れようとしています。》

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