• 日々のみ言葉 2016年9月26日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年9月26日(月)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書1章80節】
    1:80 さて、幼子は成長し、その霊は強くなり、イスラエルの民の前に公に出現する日まで荒野にいた。

    ◎ショートメッセージ
    《旧約聖書には、このように預言されています。

    『荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。(イザヤ書40:3)』

     これこそが、バプテスマのヨハネの使命なのです。さてザカリヤとエリサベツは、いくつまで生きたのでしょうか。残念ながら聖書には、それらのことについては書かれていません。
     エリサベツの親戚であった主イエス様の母マリヤは、二人が何時召されたことは、間違いなく知っていたでしょう。もしかしたら主イエス様も知っておられたかも知れません。
     さて、今回のヨハネの福音書の1章から学んだことは、バプテスマのヨハネと主イエス様は、血がつながっている関係であったと言うことです。
     前々回にも書きましたが、エリサベツとマリヤの関係は、かなり親しい関係、いやかなり血の濃い関係であることを提案させていただきました。
     一番納得できる関係は、マリヤの母アンナとエリサベツが姉妹であることです。しかも年がかなり離れた姉妹です。
     エリサベツが一番上の姉であり、アンナが一番下、末っ子の妹であったと言うことは十分に想像出来ることなのです。

     新聖書注解には、このようなことが書かれています。
    それによりますと、外典「ヤコブの福音書」には、『マリヤの父ヨハキムは金持ちで、その妻アンナは不妊の女であった。ヨアキムの四十日間の断食と、アンナの熱心な祈祷によって奇蹟的に与えられたのが、マリヤである。』と言うことです。

     この記事からしても、エリサベツとマリヤの母であるアンナとが、姉妹関係であることは、かなり信頼性が高くなります。なぜなら二人とも「不妊の女」と呼ばれていたからです。
     ここから、エリサベツだけでなく、マリヤの母アンナと父ヨアキムも、かなり年を取っていたことを察することが出来るのです。

     さて、話をヨハネに戻しましょう。なぜ彼は荒野にいたのでしょうか。
     ザカリヤとエリサベツは年を取っていたので、我が子ヨハネを、信頼できる教育機関に預けた、と言う見方があるのです。あるいは、物心ついたヨハネが、自らそのような所を求めて、親元を後にしたのかも知れません。

     実はそれが荒野にありましたエッセネ派の修道院なのです。エッセネ派の働きは、やがてヨハネが行なうバプテスマの働きと、非常に酷似しているのです。

     ルカは詳しくは書いておりませんが、このエッセネ派の修道院にて共同生活を送り、ついに神様の召しにより、本来ヨハネがするべき使命の為に、そこを出て、悔い改めのバプテスマを授けることになったと考えても、決して間違いではないと思います。》

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