◇◆◇日々のみ言葉
2016年12月8日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書5章4節~6節】
5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた。
5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉どおり、網をおろしてみましょう。」
5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになった。
◎ショートメッセージ
《『群衆がイエスに押し迫るようにして神の言葉を聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟にのり、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。(マルコの福音書5:1~5:3)』
この漁師たちとは、シモン・ペテロとその弟アンデレ、ゼベタイの子ヤコブとヨハネです。
群衆に対してのイエス様の話が終わると、イエス様は、シモンに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われたのです。
時は午前中、しかも朝であった可能性も高いと思います。おそらくイエス様は、シモンの家に休んでおられ、シモンの家族たちと朝の食事をされ、ガリラヤ湖の岸辺にて、人々に教えていたのです。
しかし弟子の漁師たちは、夜通し漁に出ていたことが分かります。彼らは疲れ切り、しかもお腹も空ききっていたに違いありません。
まず「深み」です。浅瀬ではありません。すなわち岸からかなり離れることを意味します。当時の舟にはエンジンなどありません。帆を使い、あとは手で漕ぐのです。おそらくイエス様は、漕ぐことはなさらなかったはずです。その時のシモンとアンデレの気持ちはいかばかりであったでしょうか。
また、その時間のガリラヤ湖の深みには、ペテロフイッシュ(鯛の一種)と呼ばれた美味しい魚はいませんでした。そのことを一番知っていたのは、シモンです。
次に「網をおろしなさい」です。
イエス様が、彼ら四人を見つけた時、彼らは何をしていましたか。そうです。網を洗っていたのです。その網を降ろすことは、もう一度網を洗わなければならないことを意味しています。もしまた何も捕れなければ、骨折り損となってしまうのです。
そして「魚をとりなさい」です。
網を降ろして、すぐに魚がかかれば、こんな苦労は必要ないのです。なかなか網にかからないから問題なのです。なぜなら魚は生きているからです。つまりガリラヤ湖には多くのポイントが存在していたのですが、魚は群れをなして回遊しているのです。
しかしシモン・ペテロは言いました。
「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉どおり、網をおろしてみましょう。」
すると、たくさんの魚がはいり、網は破れそうになったのです。》