◇◆◇日々のみ言葉
2025年6月2日(月)
◎聖書箇所【第Ⅱコリント人への手紙7章5節~6節】
7:5 マケドニヤに着いたとき、私たちの身には少しの安らぎもなく、さまざまの苦しみに会って、外には戦い、うちには恐れがありました。
7:6 しかし、気落ちした者を慰めてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを慰めてくださいました。
◎ショートメッセージ
《昨日と同じ箇所からとなります。再度ですが、現代訳を掲載いたします。
『7:5 前に書いたように、私はアジアからマケドニヤ地方へ渡った時、あなたがたの問題がどうなったか心配で、心には少しの平安もなく、外には戦い、内には恐れがあった。
7:6 しかし、意気消沈している者を元気づけてくださる神は、テトスが来たことによって、私たちを元気づけてくださった。』
この場面は、使徒の働きのどこに属するのでしょうか。おそらく、使徒の働き20章ではないかと、考えられるのです。
『20:1 騒ぎが治まると、パウロは弟子たちを呼び集めて励まし、別れを告げて、マケドニヤへ向かって出発した。
20:2 そして、その地方を通り、多くの勧めをして兄弟たちを励ましてから、ギリシヤに来た。
20:3 パウロはここで三か月を過ごしたが、そこからシリヤに向けて船出しようというときに、彼に対するユダヤ人の陰謀があったため、彼はマケドニヤを経て帰ることにした。』
ここに登場する「騒ぎ」とは、エペソにおける「アルテミス騒動」のことを指しています。ギリシャから、シリアに向けて船出してマケドニヤ地方に渡った時に、テトスがコリントから追いついて来たのです。おそらく、この時には、医者ルカも一緒に行動していたに違いありません。
主を信じ、従う者にとって、主にある兄弟が与えられていることは、何と幸いなことなのでしょう。もちろん姉妹の場合には、主にある姉妹が与えられていることです。
なぜなら、二人で祈り合うことが出来るからです。主イエス様も約束されています。
『「ふたりでも三人でも、私の名において集まる所には、私もその中にいるからです。」(マタイ18:20)』と。》