• 日々のみ言葉 2016年12月10日(土)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年12月10日(土)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書5章8節~9節】
    5:8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」と言った。
    5:9 それは、大漁のため、彼も一緒にいたみなの者も、ひどく驚いたからである。

    ◎ショートメッセージ
    《主イエス様の弟子の中には、ガリラヤ湖で働く四人の漁師がいました。ペテロとあだ名をつけられたシモンとその弟アンデレ、そしてゼベタイの子ヤコブとヨハネです。 イエス様は、シモンの家を「自分の家」と呼び、そしてカペナウムを、「自分の町」として愛されたのです。

     ガリラヤ伝道の中心が、カペナウムであり、シモンの家が拠点でした。シモンには家族がいましたし、弟アンデレも一緒に住んでいました。

     さて、イエス様の公生涯における初期の頃は、四人の弟子たちは、自分たちの家族の為、また居候?しているイエス様の為にも、働かなければならなかった状況でした。

     よって、イエス様が休まれている間に、四人の弟子たちは、本来の仕事である漁に行ったのです。普通ガリラヤ湖では、夜半に岸辺近くの浅瀬で、網を投げたり、おろしたりする漁が一般的でした。

     おそらく四人の弟子たちは一晩中、知る限りのすべてのポイントで、網をおろしたに違いありません。しかしその日には何もとれませんでした。
     私はこの状況でさえも、父なる神様の摂理の中にあったと信じています。つまり、あえて魚が四人の漁師の網にはかからないように、神様が命じられたのです。

     イエス様が、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい。」と言われた時、ガリラヤ湖のプロの漁師であるペテロは、相当腹が立ったと思います。
     イエス様は大工でした。漁師ではありません。また漁に関しても、ガリラヤ湖に関しても素人であることは明白です。そのイエス様が、全く常識外れな事を言うわけです。もちろんシモンは、イエス様の言葉に異を唱え、応じないことも選択出来ました。

     しかしシモンは従いました。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもお言葉どおり、網をおろしてみましょう。」

     この後すぐに網をおろしたのではありません。深みに漕ぎ出したのです。その時、別の舟もついて来ました。ヤコブとヨハネです。

     シモンは、イエス様に向かって、この時には「先生」と呼んでいます。

     さて主イエス様の言葉に従いますと、何と奇蹟が起こってたくさんの魚が網にかかり、舟が沈みそうになりました。そこでシモンは、ヤコブとヨハネに助けを求めます。
     彼らがやって来て、魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになったのです。それほどの量の魚がかかったのでした。

     その状況を、一部始終を見たペテロは、イエス様に向かってこう言います。
    「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから。」

     この時、シモンの心の中に大きな変化が起こりました。彼にとってイエス様は、「先生(ラビ)」と言う、ごく一般的な存在であったのですが、この時「主」、すなわち救い主となったのです。ルカは、シモンの信仰告白として、このことを書き記しています。 そして、ここからシモン・ペテロと書き記しています。ペテロは、イエス様が、普通の人間ではないことを、身に染みて感じたのです。そして悔い改めたのです。》

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