• 日々のみ言葉 2016年12月19日(月)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2016年12月19日(月)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書5章20節~21節】
    5:20 彼らの信仰を見て、イエスは「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。
    5:21 ところが、律法学者、パリサイ人たちは、理屈を言い始めた。「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」

    ◎ショートメッセージ
    《ある日のことです。イエス様がペテロとその弟アンデレの家で教えておられると、パリサイ人と律法の教師たちも、そこにすわっていました。
     彼らは、ガリラヤとユダヤとのすべての村々や、エルサレムから遣わされて来ていたのです。イエス様は、主の御力をもって、様々な病気を直しておられました。
     するとそこに、四人の男たちが、中風をわずらっている人を、床のままで運んで来ました。もちろんその時には、イエス様も弟子たちもそのことを知りません。四人の男たちは、何とかして家の中に運び込み、イエス様の御前に中風の人を置こうとしました。 しかし、大ぜいの人がいて、病人を運び込む方法がどうにも見つからず、仕方がないので、屋上に上って屋根の瓦をはがし、そこから彼の寝床を、ちょうど人々の真中におられたイエス様の前に、つり降ろしたのです。
     真上から、ほこりやどろやごみが、どさーっと落ちてきました。イエス様も弟子たちも、そしてパリサイ人と律法学者たちも、ほこりまみれで真っ白になっってしまいました。人々は罵声をあげ、家の主人であるペテロとその弟アンデレは激怒しています。
     しかしイエス様は、四人の男の信仰を見て、中風の人に「友よ。あなたの罪は赦されました。」と言われたのです。

     するとそれを聞いたパリサイ人や律法学者たちは、理屈を言い始めたのです。
    「神をけがすことを言うこの人は、いったい何者だ。神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」

     実は、彼らは、おのおのの口で理屈を言い始めたのではありません。

     マルコによりますと、
    『ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」(マルコの福音書2:6~2:7)』と書かれているのです。

     そうなのです。彼らは、心の中でつぶやいたのです。
     彼らがつぶやいた「神のほかに、だれが罪を赦すことができよう。」と言うことは、真理であり真実です。

     それゆえ、罪の赦しのためにはいけにえが必要なのです。それが「過越」です。エジプトにいたイスラエルの長子が死を免れるためには、傷のない雄の小羊のいけにえが必要でした。身代わりのいけにえの死と、その流される血潮が必要だったのです。

     神様は、私たちのすべての罪をご存じです。犯した罪には、その報いがあります。刑罰があるのです。なぜなら神様は、聖いお方であり、罪をそのままに見逃すことは出来ないからです。罪の値は死です。しかし愛の神様は、救いの道を今から二千年ほど前に、人類に備えて下さったのです。

     父なる神様は、「神の小羊」であるイエス様を、この地上に送って下さったのです。今年もクリスマスがやって来ようとしています。
     父なる神様が人類に下さった最高のプレゼント。それが人となられた一人子の神、イエス様なのです。12月25日、この方がお生まれになられました。》

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