◇◆◇日々のみ言葉
2016年12月20日(火)
◎聖書箇所 【ルカの福音書5章22節】
5:22 その理屈を見抜いておられたイエスは、彼らに言われた。「なぜ、心の中でそんな理屈を言っているのか。」
◎ショートメッセージ
《ルカの福音書は、少しわかりにくい訳になっています。よってマルコの福音書の平行記事と比較しながら、考えて行きたいと思います。
『数日たって、イエスがカペナウムにまた来られると、家におられることが知れ渡った。
それで多くの人が集まったため、戸口のところまですきまもないほどになった。この人たちに、イエスはみ言葉を話しておられた。
そのとき、ひとりの中風の人が四人の人にかつがれて、みもとに連れて来られた。群衆のためにイエスに近づくことができなかったので、その人々はイエスのおられるあたりの屋根をはがし、穴をあけて、中風の人を寝かせたままその床をつり降ろした。
イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた。
ところが、その場に律法学者が数人すわっていて、心の中で理屈を言った。「この人は、なぜ、あんなことを言うのか。神をけがしているのだ。神おひとりのほか、だれが罪を赦すことができよう。」
彼らが心の中でこのように理屈を言っているのを、イエスはすぐにご自分の霊で見抜いて、こう言われた。「なぜ、あなたがたは心の中でそんな理屈を言っているのか。(マルコの福音書2:1~2:8)』
パリサイ人や律法学者たちはどこにいましたか。イエス様がガリラヤ伝道の拠点としたシモン・ペテロの家にいたのです。彼ら側から見れば敵地にあたります。
もちろんそこでは、ある程度はおとなしくしていなければなりません。なぜなら彼らは客の立場にあるからです。
それゆえ、主イエス様が、「子よ。あなたの罪は赦されました。」と言われた時、大声を上げて、イエス様を弾劾することが出来なかったのです。それゆえ彼らは心の中で思ったのです。
イエス様は、まことの人でしたが、同時に神様なのです。これはまさしく奇蹟です。目に見えているナザレの大工、イエシュアーの中に宿られた霊なるお方こそ、創造主なる神様なのです。それゆえ「ご自分の霊」で見抜かれたのです。
イエス様は、すべての人の心をご存じです。またその人が何を考え思っているのか、それも一瞬にして分かってしまいます。私たちは、どんなに頑張って、隠しおおせたとしても、主イエス様の前では、すべてが明白となっています。
イエス様は、私たちの喜びも、悲しみも、苦しみもすべて知っておられます。それだからこそ、「友」となることが出来るのです。
こんな素晴らしいお方が、私たちを「友」と呼んで下さる、それがどれほど大きな恵みであり、哀れみであるのか、そのことを決して忘れてはならないのです。
このお方は「愛」のお方であられます。その愛のゆえに、私たちの身代わりとなって、十字架刑に架かられ、死んで下さったのです。》