◇◆◇日々のみ言葉
2017年2月9日(木)
◎聖書箇所 【ルカの福音書6章47節~49節】
6:47「私のもとに来て、私の言葉を聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
6:48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
6:49 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」
◎ショートメッセージ
《主イエス様は、「平地の説教」の締めくくりとして、一つのたとえ話をなされました。
主イエス様は、「なぜ、私を『主よ、主よ。』と呼びながら、私の言うことを行なわないのですか。」と、十二使徒に、そして六十人以上いたであろう内弟子たちに、言われました。
この教えから、キリスト教の信仰者には、傍観者の信仰と、本物の信仰を持つ者とが存在することが分かります。
実際には、この時に主イエス様に付き従って来た多くの弟子たちでさえ、傍観者であったと言っても良いでしょう。
主イエス様が、ゲッセマネの園において、ローマ兵に捕らえられた時、ご一緒していた十二使徒(イスカリオテのユダを除く)でさえ、逃げ出したのです。主イエス様の十字架の御元には、一番年若いヨハネしかいなかったのです。
ペテロは、イエス様に従って来た多くの女たちの中に、身を潜めていたと言う有様でした。残る九人の使徒たちは、皆エルサレムにはおらず、ベタニヤのマルタとマリヤとラザロの家に、非難していたのです。
人生には、厳しい試練や困難はつきものです。これはクリスチャンであろうと、ノンクリスチャンであろうと、公平に誰にでも起こってくるものです。
イエス様は、その困難を「洪水」にたとえておられます。岩の上にしっかりとした土台を据えて家を建てた人にも、そして土台なしで家を建てた人にも、同じように「洪水」がはし寄せて来るのです。
土台をしっかり建てた人とは、主イエス様のみ言葉に留まり、そして主の教えを実行する、まさに信仰にその全てをかけた、良い弟子であると言えます。
そして土台なしに家を建てた人とは、イエス様のみ言葉に従おうとはせず、依然として自分の生き方を続けている、悪い弟子であると言えます。家は一見同じように見えますから、本物の信仰を持っている人とは、見分けがつかないかも知れません。
しかし一旦嵐に見舞われ、川の水が溢れ、洪水が押し寄せて来た時に、その真価が問われることになるのです。土台のある家は、びくともしなかったのですが、土台のない家は、壊され流されてしまいました。
私たちクリスチャンの信仰の土台は、一体何なのでしょうか。それは、主イエス様の語られた教えであり「神の言葉」です。
そしてみ言葉を実行する人こそ、その人生と言う名前の家を、硬い土台の上に建てた人なのです。本物の信仰には、実行が伴うものなのです。
あなたの土台は、大丈夫でしょうか?》