• 日々のみ言葉 2017年2月10日(金)

    ◇◆◇日々のみ言葉

    2017年2月10日(金)

    ◎聖書箇所 【ルカの福音書6章47節~49節】
    6:47「私のもとに来て、私の言葉を聞き、それを行なう人たちがどんな人に似ているか、あなたがたに示しましょう。
    6:48 その人は、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を据えて、それから家を建てた人に似ています。洪水になり、川の水がその家に押し寄せたときも、しっかり建てられていたから、びくともしませんでした。
    6:49 聞いても実行しない人は、土台なしで地面に家を建てた人に似ています。川の水が押し寄せると、家は一ぺんに倒れてしまい、そのこわれ方はひどいものとなりました。」

    ◎ショートメッセージ
    《今日は昨日と同じ箇所から、さらに考えて見ようと思います。

     主イエス様は、「山上の垂訓」の締めくくりとしても、一つのたとえ話をなされました。その内容は、ルカの福音書の「平地の説教」の内容とほぼ同じ内容ですが、若干たとえているものが違っているのです。

     マタイの福音書によりますと、
    『「だから、私のこれらの言葉を聞いてそれを行なう者はみな、岩の上に自分の家を建てた賢い人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけたが、それでも倒れませんでした。岩の上に建てられていたからです。
     また、私のこれらの言葉を聞いてそれを行なわない者はみな、砂の上に自分の家を建てた愚かな人に比べることができます。雨が降って洪水が押し寄せ、風が吹いてその家に打ちつけると、倒れてしまいました。しかもそれはひどい倒れ方でした。」(マタイの福音書7:24~7:27)』となっているのです。

     ルカでは、ふたりとも、岩の上に家を建てます。しかし実行する人は、土台を据え、実行しない人は土台がないのです。

     そしてマタイでは、実行する人は、岩の上に家を建て、実行しない人は、岩ではなく砂地に自分の家を建てたと言うのです。
     このたとえの違いから、マタイの「山上の垂訓」とルカの「平地の説教」とは、全く別な場所においてのイエス様のメッセージであることが分かります。
     おそらくイエス様は、同じ教えを何度も何度も、様々な場所において語られたと思うのです。

     昨日は、土台に何を据えるのかについて考えて見ました。主イエス様の語られた「み言葉」の上に、主イエス様を信じる信仰の上に、私たちは、クリスチャンと言う名前の家を築いて行くのです。

     それではマタイの福音書のたとえから、何が学べるのでしょうか。イエス様は、私の言葉を聞いて実行する人は「岩の上」に家を建てた人であると、言われました。

     イエス様は、シモン・ペテロにこう言われます。
    『「では私もあなたに言います。あなたはペテロです。私はこの岩の上に私の教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイの福音書16:18)』

     つまり主イエス様は、マタイの福音書の同じたとえの中に、「岩」イコール「教会」と言うメッセージをも、奥義として語っておられるのです。

     「教会」こそが、神の子どもたちの集まる家なのです。イエス様のみ言葉を聞いて実行する人は、教会に行く人なのです。礼拝を捧げる人なのです。
     そして「砂」の上に家を建てた人とは、以前は教会に行ってはいたが、行かなくなったり、あるいは神様を第一としていない人を指しているのです。これは、神様を礼拝しないことを意味しています。

     ヘブル人への著者はこう勧めています。
    『また、互いに勧め合って、愛と善行を促すように注意し合おうではありませんか。ある人々のように、一緒に集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。(ヘブル人への手紙10:24~10:25)』

     神様は、まことの礼拝者を望んでおられるのです。》

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